bなく、読者様からのリクエストが案外多かったので驚かされました。
勉強家の方が多いというか、結構マニアックな事件や人を知っている人がたくさんいるのだなぁと感心しました。
今までにやった、宅間守や市橋達也などと違い、そこまでメジャーな事件、一般的には有名犯罪者ではありません。
1.2名はリクエスト来てもおかしくないかくらいだと考えていたのですが、かなり多数要望頂きましたので記事にしました。
そして本日、観相学で観ていく人物の名は「佐川一政」。
その彼が起こした事件とは「パリ人肉事件」です。
今日はこのサイト史上一番事件の部分の内容がエグく、気持ち悪いと予想出来ますので、観相学の記事の作りをもう知っているという方、不気味な話が苦手な読者様は観相学の項目まで記事を飛ばして頂くのが無難と考えます。
宅間守や小野悦男の記事ですら、気持ち悪くて途中飛ばしました、という人はもっと無理なレベルですので今の内の記事を飛ばしてくれた方が賢明です。
はい、ホラーが苦手な人はもう記事を飛ばしてくれているでしょうから、やっと本題に入れます。
そうこの佐川一政という人物は人間を殺して、その殺した相手の人肉を食べた人物です。
いわゆるカニバリズムです。
凶悪事件や凶悪犯罪者の中でもかなり珍しい部類に入ります。
このような事件だからこそ、無理な人は受け付けない記事なんです。
では今日の項目です。
- パリ人肉事件とは?
- 佐川一政の詳細情報
- 佐川一政を観相学で観る
- このような事件について
の四本構成でいきましょう。よろしくお願いいたします。ではまず、
目次
1.パリ人肉事件とは?
マジで本日はえぐいで気の弱い方は心臓を叩いててください。
いきます、パリ人肉事件は、1981年、フランスで起こった猟奇殺人事件です。
犯人である日本人留学生の佐川一政が、友人であるオランダ人女性を射殺し、屍姦後に彼女の肉を食べたというものです。
1981年6月11日、フランスの首都パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺しました。
佐川は衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べました。
6月13日、残った遺体をスーツケースに収め、ブローニュの森の池に捨てようとしたところを目撃され逃亡します。
目撃者が遺体を発見し警察に通報し、2日後に逮捕されました。
なお、この事件以前に、佐川は日本でも近隣に住むドイツ人女性を食肉目的で襲い逮捕されています。
事件は父親の提示した示談金で告訴は取り下げられております。
また、佐川は幼少の頃から人肉食の欲求が芽生えたと語っています。
佐川は犯行を認め裁判では心身喪失であったとして不起訴処分で無罪となり、フランス国内の精神病院に入院します。
翌年、帰国し東京都立松沢病院に1年間の入院をしました。
病院側の診断結果は、佐川は人肉食の性癖など一切なく、フランス警察に対する欺瞞であるというものでありました。
当時の同院副院長の金子医師は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないかとしています。
日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否しました。
事件後すぐの1981年に東映が唐(から)十郎監督で『ブローニュ』というタイトルで映画化しようとしたことがあります。
唐は「事件同様、衝撃的な作品にするよ。来年6月頃には撮影に入りたい。オレとしてはパリに出かけて現場を踏まねば気がすまないし、製作費は3億円ぐらいは必要だと思う。いま、キャスティングを慎重に進めている最中」などと話していたが、唐は1976年の監督デビュー作『任侠外伝 玄海灘』の撮影で本物のピストルをぶっ放して罰金刑を食らった前科もあり、内々に交渉を受けた佐川役の主演候補がいずれも尻込みし難航しました。
その後「佐川君からの手紙」を寺山修司が脚色し、大島渚が監督する計画が進みましたが、寺山が1983年5月4日に亡くなり、結局、実現に至らなかった。と事件後のエピソードも話してみました。
ポイント
- パリ人肉事件とは1981年フランスで起こった猟奇殺人事件。
では次の項目、
2.佐川一政の詳細情報
事件概要はわかったと思いますが、次にこの佐川一政がどのような人物なのかを話していきましょう。
佐川一政は兵庫県神戸市生まれ。
聖(せい)ミカエル学園から神奈川県立鎌倉高等学校を経て和光大学人文学部文学科卒業、関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了。
1981年(昭和56年)の時点では身長152cm、体重35kg。
父方祖父は朝日新聞論説委員であり、父は伊藤忠商事からの出向により栗田工業社長を務めた佐川明。
いくつかの会社を立て直し「再建の達人」と呼ばれていました。
母親は神戸の裕福な貿易商の娘だが(佐川は母方の姓)、祖父母(母の両親)ともに愛人がおり、祖母には婚外子もあるような複雑な家庭で母親は育っています。
母方の叔父に歌手・俳優の佐川満男がいます。
1歳違いの実弟の佐川純は慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学文学部、専門学校東京デザイナー学院卒業後入社した大手広告代理店を50歳で退職し、油彩画家に転身、2017年には兄の一政とともに仏米合作のドキュメンタリー映画に出演しました。
生まれた時は未熟児でした。
出生1年後に腸炎を患い、カリウムとカルシウムの静脈注射で命を長らえるような状態であり、両親は果たして何歳まで生きられるかと心配しましたが、虚弱体質だったものの順調に成長していきました。
内向的な性格ということもあり芸術好きの少年として育ち、文学ではシェイクスピアに興味を示し、音楽ではベートーヴェンやヘンデルを愛しました。
高校時代には白樺派に傾倒し、志賀直哉の『暗夜行路』に影響を受けて短編小説を書いたことがある他、紹介状も持たず武者小路実篤に会いに行き、面談したこともあります。
幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされたことにより、小学生の頃にはすでに人肉を食することに興味を抱いていたといわれ、高校時代には自ら精神科医にたびたび相談したが取り合ってもらえませんでした。
佐川の異常な嗜好はやがて表に現れることになります。
和光大学在学時代には中年のドイツ人女性宅に人肉食目的で無断侵入し逮捕されましたが、父親が支払った示談金により、告訴はされませんでした。
1977年からフランスに留学し、1980年、パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了。
同大学院博士課程に在籍していた1981年、佐川は同大学のオランダ人女性留学生が自室を訪れた際、彼女を背後からカービンで撃って殺害。
屍姦の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べた。
そのあと佐川は女性の遺体を遺棄しようとしているところを目撃されて逮捕され、犯行を自供したが、取調べにおける「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから、精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となりました。
その後、アンリ・コラン精神病院に措置入院されましたが、この最中にこの人肉事件の映画化の話が持ち上がりました。
1984年に日本へ帰国し、精神病院である東京都立松沢病院に入院します。
同病院での診察では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論でした。
副院長の金子は、「佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか」としています。
日本警察もまったく同じ考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が「不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡すことはできない」として拒否しました。
同院を15カ月で退院した佐川は、マスコミに有名人として扱われ、小説家になります。
その頃、日本の病院と警察がそろって刑事責任を追及すべきという方針であったのに、フランス警察の方針により、それが不可能になったことから、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きました。
両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することになり、母親は神経症の病気を患ったと言います。
社会復帰後、1989年の宮崎勤逮捕では、猟奇犯罪の理解者としてマスコミの寵児となり、忙しい時は月刊誌や夕刊紙など4紙誌に連載を持っていました。
印税収入だけで100万円に達した月があった他、講演やトークショーにも出演して稼いでおり、1本30万円のギャラでアダルトビデオに出演していたこともあります。
しかし2001年頃までにはほとんどの仕事が途絶え、生活に困って闇金に手を出すようになります。
と自ら語っています。
1993年に知り合ったドイツ人男性から白人女性2名を紹介され、肉体関係を持たぬまま金蔓として利用され、共に海外旅行を楽しんだが、やがて佐川の過去が露見したために絶交された、と言います。
2005年1月4日に父が死去。
翌日に母が自殺と週刊誌で報じられたが、実弟は否定しています。
当時、佐川は闇金の取立てに追われて千葉県に逃げていたため、両親の死に目に会えず、社葬という理由で葬儀への出席も断られました。
その後、親の遺産で借金などを返し、2005年4月に公団住宅に転居。
千葉県に住んでいた頃は、持病の糖尿病が悪化し、生活保護を受けていたが、2006年のインタビューでは「現在は受けていません」と語っています。
これが 佐川一政です。
皆さんはどう感じましたか?
ポイント
- 日本人留学生の佐川一政がオランダ人女性を射殺し屍姦後に被害者の肉を食べた事件。
- 佐川は逮捕され犯行を認めたが、心神喪失状態であったとして不起訴無罪となった。
- 猟奇犯罪の理解者としてマスコミの寵児となった時期もあった。
それでは次の項目です。
3.佐川一政を観相学で観る
いつもと同じく観相学で観る前の注意点を話しておきます。
観相学で観る前の注意点
僕は佐川一政氏に会った事もありませんし、実物の本人を見たこともございません。
それゆえ、普段私が直接会って占断する人間のよくてせいぜい7~8割くらいの確度くらいに思っててください。
写真や動画のみから面相を判断しますので、通常観相学と異なり、かなり信憑性が下がってしまう事だけはご了承ください。
また彼は人を殺して、その人肉を食べた男ですが、その辺りを無視してフラットに観ていきましょう。
顔を見たときの印象について
かなり特徴的な顔です。
僕の占断というか、今までの経験則でいうと最初1秒くらいでパッと見、脊髄反射的に勝手に脳に入ってくる「芸術家タイプ」のような顔です。
僕が好きな霜降り明星・粗品君にも少し似ていませんか?彼も芸術家タイプですよね。
顔の形の診断
面相で観るならば、まず顔の形です、額が広く、あご部分がシャープになっていますね。
頭脳を使う仕事向きです。
そしてよく言われているのは寿命が長いと言われている顔型です。
そして眉骨の隆起が目立ちます。
眉の診断
眉毛は若くして成功すると言われている眉ですが、この部分が大きく膨らんでいるのはトラブルメーカーであるともいえるので、この部分は吉凶入り混じっています。
目元の診断
目は上まぶたが少し膨らみがあり、右眼が角眼が入り、少しだけ雌雄眼、一つのものへのこだわりや執着が強いとみる凶相で、かなり怖いですね。
雌雄眼
山根は素人でもわかりやすくあまりにも広いですね。
かなりの女性好きではないでしょうか?
鼻の診断
鼻はちょっとだけ長めで、しっかりしています。鼻は吉相ではありますが、鼻の穴は正面からでも見えます。
仕事などでは上に立てるが得たお金にはだらしないと読むのがもっともポピュラーです。
口周りの診断
そして目立つのは人中の長さ、早熟で女好きと読みます。
口は凶相、下唇は薄く、不満を抱えている人間と観ますね。
佐川一政の面相での診断
というわけで佐川一政を面相だけで読むのならば、頭は良く、こだわりが非常に強いタイプである。
性欲はかなり強め。
性欲や女好きな部分が抑えられれば、仕事面での成功も十分にあり得るだろうと鑑定します。
賢さとエロさが入り混じっている、おそらくは天才肌とまでは僕も、他の面相読みもリーディングするでしょうが、彼が人の肉を食べるまでは正直、面相のみでは一切わかりませんね。
ポイント
- 頭が良くこだわりが強い、いわゆる天才肌芸術家タイプである。
- 面相から性欲が強い事が読み取れるが人肉食とまで読み取ることは出来ない。
はい、最後の項目にいきましょう。
4.このような事件について
今日は佐川一政とパリ人肉事件について解説してきました。
何かに長けた人間とまではある程度わかります。
そして女性好きとまでは理解出来ても、人の肉を食べるという奇行までは一切判別不能の理解不可能です。
アルバートフィッシュなど有名なカニバリストもいますが、いかんせん日本人でのデータが少なすぎて、読み取りが難し過ぎます。
顔だけ観てまぁ凶相よりで、天才と○○は紙一重的な部分はある程度もちろんわかりますが、そこから人を殺して人の肉を食べるまでは予測出来ないですよね。
それほどまでにレアケース中のレアケースです。
特に日本ではより珍しい事件です。
これについての映画「カニバ/パリ人肉事件38年目の真実」という映画があり、僕も参考の為に観ようかと考えたのですが、評価数が低すぎ、コメントに「気持ち悪かった」と書かれて観れませんでした。
興味をもった方は観られてもいいかもしれませんが、僕は責任持ちません。
もし、彼がなぜそうなったのか?と解明したいのであれば、生まれや遺伝よりは、後天的要素に何か問題があったのでしょう。
やっぱり一番引っかかたのは「幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされたこと」という部分ですね。
子供の時にこんな話を聞いた事がのちの事件につながったのかもしれません。
そんな話を何度も繰り返す叔父も叔父ですよね・・・。
ポイント
- 生まれや遺伝より後天的要素に問題があった可能性がある。
- 幼少期に人肉食の話を叔父から繰り返し聞いた事が影響か。