【悪人観相学】 麻原彰晃

動画でも解説しております

はじめに

今日も元気に「悪人観相学」のコーナーをやっていきましょう。

日本ではアメリカレベルのシリアルキラーなどがさすがにそこまで多くないので、だんだんとこの悪人観相学もネタが尽きてきてしまいますね。

そろそろ一度海外の人でもやっていいんですが、皆さんの認知度が気になりますね。

テッドバンディせいぜい知っててもテッドバンディくらいじゃないかと想像できるんですよね。

テッドバンディの映画しかもテッドバンディも近年、ザックエフロン主演の映画がありましたから、そのせいで少し認知度向上したので、他のシリアルキラーはそこまで一般の人は知らないし、興味もないんじゃないかなぁと悩んでおります。

本日もいつものこのコーナーのような流れでコメント読みから、先に注意事項を話す工程がありますので、「それはもう大丈夫です!」という方は本編まで記事を飛ばしちゃってくださいね。

では、多く頂いていたリクエストの中からまず3名様のメッセージを読まさせて頂きますね。

河村悦郎さん

麻原彰晃を観相学的に見るとどうなのか気になります。
お世辞にも見た目が良いとは言えない小汚いオッサンが何故あそこまで多くの人に慕われ人を惹きつけ編す事が出来たのか。
これに関しては多くの人が教訓にすべき事だと思いますので、また機会があればよろしくお願いします。

Shote Ochaさん

動画も多いと思いますが、麻原彰晃も詳しく解説して欲しいです。
個人的には、パッ見たところにすぐわかる肉体的欠陥があるかつ上昇志向が強い人間は全く信用できない危険人物だと思っています。
入門向きだと思いますがいかがでしょうか?

スカイブルーさん

オウムの麻原彰晃や、古いですが大久保清先生の見解が知りたいです。

と3名の皆様、同じリクエストをしていただいた皆様、ありがとうございます。

麻原彰晃(松本智津夫)だいぶと有名な麻原彰晃をリクエスト頂きました。

オウム全盛期なら、こんな記事にしたら僕も狙われていたでしょうね。

今だからこそまだ記事に出来ます。

メキシコマフィア何年か前に、メキシコでもYouTuberがマフィアのボスを愚弄したと言って報復で殺されてましたからね。いやはやyoutuberも今や命がけですよ。

拉致・誘拐今この記事を読んでいる若い読者さんは「まさかー」とつぶやいているかもしれませんが、麻原彰晃率いるオウム真理教は全盛期それくらい過激な集団で、実際教団に襲われたり、拉致されたりする事件がありました。

そのような当時の状況を知らない若い視聴者さんの為に、本日は麻原彰晃とオウム真理教について少しだけ解説をしてから、教祖・麻原彰晃を観相学で観るという流れにしていきます。

注意事項:画像のみで観ると確度は下がります。ご了承ください。本日も僕は麻原彰晃氏には一度も会った事はありませんので、動画・静止画などで観ての鑑定になりますので、通常の確度の7.8割くらいと思って頂けると幸いです。

また彼は大量殺人を指導した悪人ですが、そういった情報を抜きに出来るだけフラットな状態で観ていきます。

なかなか先入観を無くすというのは難しい事ですけどね。

それがあるとどうしても占断が狂いがちですので、頑張っていきましょう!

今日の項目です。

  1. オウム真理教・オウム真理教事件について
  2. 麻原彰晃を観相学で観る
  3. オウム真理教事件・麻原彰晃を考察

の3項目でいきましょう!よろしくお願いいたします。

1.オウム真理教・オウム真理教事件

調べていたら、わかりやすい年表がありましたので、時系列に話していきますね。

オウム真理教関連年表

  • 1984年2月 麻原彰晃こと松本智津夫が「オウム神仙の会」を発足、1987年6月「オウム真理教」に改称します。
  • 1989年11月 坂本弁護士一家殺害事件が起きます。
    坂本弁護士一家殺害事件出家信者の家族からの相談をきっかけに、教団の反社会性を批判する活動を展開した坂本堤弁護士(当時33歳)とその妻、1歳の長男を横浜市の自宅で殺害。
    3人の遺体が発見されたのは、95年9月でした。
  • 1993年秋頃 山梨県の旧・上九一色村の教団施設にサリン工場が建造開始されます。
    サリン工場最終的に完成には至りませんでした。
  • 1994年6月 松本サリン事件が起きます。
    教団支部建設に反対運動が起こった長野県松本市の住宅街で、神経ガスのサリンを散布して、住民8人が死亡します。
  • 1995年2月 目黒公証役場事務長拉致事件を起こします。
    資産家の女性信者の居場所を聞き出すために、女性の兄を拉致、監禁。麻酔薬を大量投与して死亡させます。
  • 1995年3月 一番大きな事件が起こります。有名な地下鉄サリン事件です。
    地下鉄サリン事件オウム真理教の教団への警察の強制捜査が近づいていることを察知し、警視庁がある「霞ケ関駅」を通る地下鉄3路線、5本の電車内でサリン入りのポリ袋に穴を空けて散布。
    乗客と駅員13人が死亡、約6000人が重軽傷を負いました。
  • 1995年3月 警視庁が教団を一斉捜索します。
  • 1995年5月 松本智津夫(麻原彰晃)が逮捕されます。
  • 1995年10月 東京地裁がオウム真理教に解散命令が出されます。
  • 2018年7月 松本死刑囚と教団幹部6人が死刑執行されました。

ネットでのまとめでは、

麻原彰晃オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本を乗っ取って、自らその王として君臨するという野望を抱き、それを現実化せんとする過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。

テロ組織世界史的に見ても、アルカーイダやISIL(アイシル)によるテロを先取りした事件である。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。

教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。

殺人事件現場被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件とされている。

と、書かれておりました。

要するに教祖・麻原彰晃は日本最凶の事件の主犯という事です。

ゆえに悪人観相学のお題にぴったりの人間ですので、次の項目で観ていきましょう。

ポイント

  • 1995年、オウム真理教は国家権力の打倒を掲げテロ集団化し、サリンを用いて無差別大量殺人事件を引き起こした。
  • 2018年、オウム真理教の元代表である麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚や教団幹部6人の死刑が執行された。

2.麻原彰晃を観相学で観る

麻原彰晃(松本智津夫)ここまで悪い男の観相学ならば楽しみですね。

幸いにもこの麻原彰晃は事件を起こす前に普通にテレビ出演をしていたので、動画があるのでまだ観やすいといえば観やすいのでその面ではラッキーと言えます。

とんねるずの生でダラダラいかせて「とんねるずの生でダラダラいかせて」に出演している動画がyoutubeにアップロードされていますが、僕はこの番組、リアルタイムで観ていた記憶がありますね。

あ、別に違法アップロードを推進しているわけではないので、youtubeで動画を観る場合は自己責任でお願いします。

これ言っておかないと、常に「違法アップロードを・・・」的なメッセージがあるんですよ。

まぁ、それはいいので、観ていきましょうね。

麻原彰晃とりあえずこの2枚を使ってまずは面相から観ていきましょう。

彼の情報からも取るのが観相学ではありますが、先にフラットな事件を起こした人間という部分を抜いて、はじめてこの人を観るという気持ちで先に面相を占断していきますね。

麻原彰晃白い服を着ている方は少しだけ綺麗に映っていますね、うっすら笑顔の写真です。

麻原彰晃もう一枚は普段の時ですね。なかなか薄汚い状態です。

どこから観ていきましょうか。

説明しながらはちょっと難しいんですが、やはり上からいきましょう。

普段は、人と会った時はまずどこからというよりも、勝手に目立つ部分から脳に入ってくるんですよね、相手を観たと同時に。そこが少し違和感がありますね。

額の診断

額まず額ですね。

麻原彰晃は珍しい横の二本の紋、しわがありますね。

ここの部分に線がある人は三本の人が多く、二本というのはちょっとだけ珍しいのですが、少しだけ気が強く、考えを曲げない頭の固い所はあるが、下の人間、部下などを多く作れる会社では出世コースタイプと言われていますので、偶然にも当たっているといえば当たっていますよね。

吉相ですからね、二本は。

眉の診断

山根眉の部分は両眉ともに下がり眉で、段差があって、間、山根が広めですね。

この部分は以前、どこかで話したような気もしますが、いわゆる好色相の特徴非常に性欲が強い、女好きと判断できます。

目の診断

目目がおかしいのはよくわかりますね。

目のずれと、形状も違っています。

細く冷たい凶の目ですね。やはりこの顔を観る時は目が一番わかりやすいでしょう。

このタイプの目は人を人は思わないような冷酷な目と読めます。

鼻の診断

鼻そしては鼻はまぁ立派で顔面の中心部分にあります。

この部分は本来は良いんです。

社長や経営者で大きく成功するタイプでありますね。

なのでここまでの部分で読むならば、

  • 宗教家ではなく、会社や企業であれば、かなり厳しめで、下のモノを圧力やモラハラなどで働かせて自分だけは出世できるリーダータイプ。
  • 社長・会長職になれる器。
  • ただし下からは嫌われている経営者型人間。

と占断するのがもっとも近い読み方ですね。

自分の下にしたい!ぶっちゃけ面相だけでいうならば結構成功するタイプです。

うまく立ち回れて出世して金と女性をガンガン行くタイプのビジネスマンだったでしょうね。

通常の仕事に就いていたのならば。

ポイント

  • 面相だけでいうならば、社長・会長職になれる器があり、大きく成功するタイプ。

    では最後の項目で、麻原彰晃とオウム真理教事件を観ていきましょう。

    3.オウム真理教事件・麻原彰晃を考察

    けんけんイラスト_疑問前々項目ではオウムの起こした事件、前項目では観相学、おもに面相の部分を使用して麻原彰晃氏を観てみましたが、彼がなんでこのような事件を起こしたのでしょうか?

    彼はほぼすべての事件において、自分が手を下したわけではなく、彼の信者が実行犯です。

    洗脳されている人要するに信者は皆、彼を信じ、彼に洗脳されていたと言えるでしょう。

    面相ではわからない、彼がどんな人生を歩んできたのかをちょこっと探ってみましょう。

    麻原彰晃1955年3月2日、麻原彰晃こと松本智津夫は、熊本県の「松本畳店」を経営する家庭の四男として生まれました。

    先天性緑内障のため、左目がほとんど見えませんでした。

    非常に貧しい家で、両親は働きづめ、智津夫は兄や姉を親代わりに幼少期を送ります。

    1961年、一旦は通常の小学校に入学するが、視覚障害者を理由に熊本県立盲学校に転校、寄宿舎に移住。

    しかし、智津夫は全盲の兄とは異なり目が見えたのに、盲学校へ入れられたことを親に捨てられたと思い不満をぶつけ転校の際には泣いて嫌がりました。

    弱そうな人の胸ぐらを掴んで喧嘩を売っている(暴力を振るっている)ガラの悪い男性盲学校では、強い権力を見せ、他の子供たちを子分扱いにし、暴力で支配、食事をおごらせたり、窃盗を命じたり、全盲の生徒相手に落とし穴を仕掛けたり、欲しいものを買わせたり、お金を巻き上げていました。

    寄宿舎の消灯時間が過ぎたにもかかわらず部屋の明かりを点けたことを寮母がとがめた際には、ふてぶてしい態度で「宿舎を焼いて明るくするぐらいのことはやってやっぞ」「撃ち殺すぞ」と言いました。

    凶暴なので「退学させろ」との声も出ていました。

    恐喝・カツアゲ金への執着が強く、同級生への恐喝によって卒業するまでに300万円を貯金していた。

    一方、高等部での担任教師は、盲学校時代の報道を聞いて

    • 「そういう陰日なたのある人間とは、とても感じられなかった
    • 明るい活発な子で、遠足に行くときは見えない子の手を引いてやったりしていた

    と述べています。

    成績は中程度であったが、「自分のように病気で困っている人を救う仕事がしたい」と熊本大学医学部を志望するようになり、高等部3年の3月に同医学部を目指すが当時は視覚障害者では医師免許が取れなかったこともあり諦め、高等部専攻科に進学する。

    体格が良く、当時の教師によると身長175センチ体重80キロはあり、柔道に打ち込み、盲学校の生徒としては異例の講道館柔道二段取得してます。

    毛沢東や田中角栄に傾倒し、鍼灸免許も取得した松本は、この頃より「東京大学法学部卒の自民党の政治家となりゆくゆくは内閣総理大臣の座に就くこと」を志すようになった。

    患者さんの背中に鍼をさしている、男性の鍼灸師1978年、松本知子と結婚し、新居を構え、そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院、同年「松本鍼灸院」を廃し、診察室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開業。

    この頃、鍼灸師として「病気の人を完治させることができない、無駄なことをしているのではないか」と悩み、四柱推命や気学を研究し始める。

    奇門遁甲だが運命を知っても運命を変えることはできないと考えて見切りをつけ、奇門遁甲と仙道にたどり着き、神秘体験を経験する。

    さらなる修行を求めて以前は嫌いだったという宗教に近づき、阿含宗に出会います。

    1986年ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称。

    怪しい宗教団体やカルト教団1987年「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称と、ここまででいいでしょう。

    僕はこの麻原彰晃は色々な思考が入り混じっていた人間だと考えます。

    多重人格とまでは言いませんがサイコパスにありがちな傾向です。

    それゆえ「人を救いたい」と語っている部分はまんざら商売の為や、大義名分ではなく、本当にそういった気持ちも持ち合わせているのだと考えます。

    しかし、それが出来ない葛藤があり、無理にでも実現したい部分が歪みながら大きく膨らんでいったのではないかと推測できます。

    性質的には「無理が通れば道理が引っ込む」を地で行くタイプですので自分が最も正しく、その正しさを誇示させる為にどんどん暴走していったのではないでしょうか。

    腕を組んで偉そうに説教や非難やマウンティングをしてくる男性何にせよ、ここまで多くの人間を洗脳して、コントロール出来るというのは並大抵の才能ではありません。

    「たられば」は人生においてありませんが、この麻原彰晃、過激思想にならずに犯罪に手を染めずブレーキをかけていれれば、オウム真理教をもっともっと大きな宗教組織に出来ていたでしょうし、一生優雅な暮らしを出来たはずです。

    それを捨ててまで、世間を見返したかった。

    沢山そこにいたった理由はあるでしょうが、一番最初の起点は生まれや、幼少期などにあるのではないでしょうか。

    この令和になっても、まだ洗脳が解けていない人がいると聞きます。

    なんとも恐ろしい事件、恐ろしい洗脳能力です・・・。

    ポイント

    • 多くの人間を洗脳して、コントロール出来るというのは並大抵の才能ではない。
    • 麻原彰晃は恐ろしい洗脳能力を持っていた。
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