本日は相模原障害者施設殺傷事件の植松聖を観相学で観ました。

動画でも解説しております

はじめに

今日は悪人観相学のコーナーでございます。

なんだかんだで、やはり皆様からの意見を聞いてるとこのコーナーが一番人気なようです。

自然な流れですよね。悪人さえうまい事見分けられたら、人生ある程度は安全ですからね。

今日の悪人は比較的見やすいと思われるので、勉強中の方にはいい人間でしょう。

植松聖相模原障害者施設殺傷事件を起こした犯人・植松聖です。

面相だけでなく、他の色々な要素からも取れるので観相学を修行するのにはもってこないの人物なのですが、かなり事件の内容がえぐい為、その部分を聞きたくないという方は観相学の項目まで記事をスキップさせてくださいね。

この事件何がすごいかというと、犯人の植松聖が19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた凶悪な事件で、殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としてはもっとも多く、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた事件ですので、「心臓の弱い人は記事を飛ばしてください」と先ほど忠告したのです。

繰り返しますが、怖い話が苦手な人は記事を飛ばしてくれても全然OKですからね!

それでは今日の項目です。

  1. 相模原障害者施設殺傷事件とは
  2. 植松聖を観相学で観る
  3. 植松聖の生い立ち
  4. 植松聖はなぜ事件を起こしたのか?

の4本構成でいきましょう。よろしくお願いいたします。

ではまず、

1.相模原障害者施設殺傷事件とは

ではいつもの悪人観相学の記事のように「相模原障害者施設殺傷事件」から解説していきましょう。

これを知らないと何も始まりませんからね。

やまゆり園2016年7月26日午前2時38分、相模原市緑区千木良(ちぎら)の知的障害者施設「神奈川県立 津久井やまゆり園」 から神奈川県警察・相模原市消防局にそれぞれ「刃物を持った男が暴れている」との通報がありました。

刃物を持った男事件に気づいた施設の当直職員が、非番の男性職員にLINEを使って「すぐ来て。やばい」と連絡を取り、連絡を受けた男性職員が電話で確認のうえ警察に通報しました。

現場に駆けつけた医師が19人の死亡を確認し、重傷の20人を含む負傷者26人が6か所の医療機関に搬送されました。

死亡したのは、いずれも同施設の入所者の男性9人(年齢はいずれも当時41歳 - 67歳)、女性10人(同19歳 - 70歳)でした。

死因は19歳女性が腹部を刺されたことによる脾動脈損傷に基づく腹腔内(ふくくうない)出血、40歳女性が背中から両肺を刺されたことによる血気胸、残り17人が失血死とされ、遺体の多くは部屋のベッド上で見つかっていたことから、植松が寝ていた入所者の上半身を次々と刺したとみられております。

また、負傷したのは施設職員男女各1人を含む男性21人、女性5人で、うち13人は重傷を負いました。

入院している患者入所者24人の負傷内容は全治約9日 - 約6か月間の胸への切り傷や両手の甲への打撲などとされています。

被害者の名前について、神奈川県警は同26日、「施設にはさまざまな障害を抱えた方が入所しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」として、公表しない方針を明らかにしています。

これについて「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではなく、優生思想が根強いため」と説明する被害者家族、本人が生きた証として名を公表する遺族、匿名であるため安否が分からず自分なら公表してほしいとする入所者の友人、根底に障害者差別があるとするなどさまざまな意見がありました。

植松聖午前3時すぎ、現場所轄の津久井警察署に加害者の男、植松聖(犯行当時26歳、元施設職員)が「私がやりました」と出頭し、午前4時半、死亡した19歳の女性入所者に対する殺人未遂・建造物侵入の各容疑で緊急逮捕されました。

ガラスを叩いて割る侵入者植松は、正門付近の警備員室を避けて裏口から敷地内に侵入し、午前2時ごろ、ハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割り、そこから施設内に侵入したとみられる。

起訴状によれば植松は、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、通用口の扉を開けて敷地内に侵入し、結束バンドを使って職員らを拘束し、一部を結束バンドで縛り、その目の前で入居者の殺傷に及んでいましたが、直接刃物で切りつけられた職員はいませんでした。

包丁植松は職員らを拘束したうえで、所持した包丁・ナイフを使用して犯行に及んだとされるほか、凶器として自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本などを持っており、切れ味が鈍るなどするたびに取り換えながら使用しておりました。

事件後に施設内で刃物2本が発見され、植松は別の刃物3本を持って津久井署へ出頭しました。

植松は侵入時にスポーツバッグを所持しており、刃物やハンマー、職員を縛った結束バンドなどをバッグに収納し、行動しやすくしていたとみられています。

刃物を持って脅す男植松は犯行時、鉢合わせした職員らに「障害者を殺しにきた。邪魔をするな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ返事がない入居者らを狙って次々と刺していきました。

前述のように、植松が裏口から施設に侵入したことから、植松は施設の構造・防犯態勢を熟知していたとみられてます。

取り調べに対し、植松は「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めたうえで、「障害者なんていなくなってしまえ」と確信犯である持論を供述もしました。

警察に逮捕される人同警察署の捜査本部は翌27日、殺人未遂の容疑を殺人に切り替え、植松を横浜地方検察庁に送検しました。

事件で負傷して意識不明となった4人が入院していた病院は、翌27日の記者会見で、4人全員の意識が回復したと発表しました。

そのうち、20代の男性は首を深く刺されたため全血液量の3分の2を失い、搬送直後には脈をとれないほどの危険な状態でした。

入院している患者この男性は、意識を取り戻して人工呼吸器を外されると、看護師に何度も「助けて」と繰り返し、容疑者として植松が逮捕されたことを知ると「生き返った」と答えました。

入所者のうち、被害を免れた比較的軽度の入所者が、植松が殺傷前に職員に縛りつけた結束バンドをはさみで切断して職員を解放していたことが判明し、捜査本部はこの行為が被害を抑えた可能性もあるとみています。

植松はさらに多数の入居者を襲う計画だったが、西棟(にしとう)2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもり、そのまま出てこなかったことから、この職員が警察に通報するのを恐れて襲撃を中断し、施設から逃走しました。

やまゆり園事件のあった「津久井やまゆり園」は、神奈川県が1964年(昭和39年)から設置し、2005年(平成17年)度から指定管理者制を導入し、社会福祉法人「かながわ共同会」が運営している知的障害者施設でした。

施錠されている鍵園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人配置し、園の正門・居住棟の入り口はそれぞれ施錠されているうえ、建物内に入ったとしても各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるマスターキーを持っている職員もいなかったといいます。

また、園には警備員が常駐しているが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったようです。

神奈川県の説明によると、入所している人たちが生活している居住棟は2階建てで、「東棟」と「西棟」の2つがあり、植松は「東棟」の1階の窓ガラスを割って侵入したとみられています。

しかし、外部からの侵入者を察知して自動的に警備会社に知らせたり、警報が鳴って施設全体に知らせたりするシステムはありませんでした。

防犯カメラ監視カメラは設置されていたものの、常時監視されていたわけではなく、速やかな異常の把握はできませんでした。

警報システムや警備会社が提供する常時監視サービス、共連れを防止できる入退室管理システムなどを導入していれば、被害の拡大を防ぐことができたと指摘もありましたが、現状はこのような事案が起こること自体が想定されていない場合が多く、対策が疎かになることが多いのです。

植松聖逮捕後の取り調べに対し被疑者植松は「ナイフで刺したことは間違いない」と容疑を認めたうえで「施設を辞めさせられて恨んでいた」とも話しました。

捜査本部は7月27日の捜査で、新たに血痕のついた包丁2本を発見します。

また、殺害された19人全員に、胸や首に複数の刺し傷がありました。27日までに12人の司法解剖が終了し、10人は負傷による失血死と失血性ショック、2人は腹と背中を刺されたことが致命傷となりました。

傷の深さから、植松には明確な殺意があったものとみられています。

叫ぶ男取り調べの中で、植松は犯行時、職員から奪った鍵で居住区画を仕切る扉を解錠して移動しながら、入居者の実名を叫んでいたことも新たに判明し、犠牲者には名前を呼ばれた入居者も含まれていたといいます。

神奈川県警は、植松が特定の人物を標的にした疑いがあるとみています。

殺害された遺体神奈川県警は8月15日、園内の東側居住棟1階で、刃物で切りつける、突き刺すなどして、26歳から70歳の女性9人を殺害したとして、殺人容疑で植松を再逮捕します。

同日、横浜地検は当初の逮捕容疑である19歳女性に対する殺人容疑については処分保留としました。

県警は8月17日午前、植松を横浜地方検察庁に送検します。

神奈川県警は9月5日、園西棟の1階と2階で、41歳から67歳の男性9人を刃物で切りつけて殺害したとして、殺人容疑で植松を再逮捕します。

逮捕は3回目で、これまでの逮捕容疑について横浜地検はいずれも処分保留とします。

これで、東棟1階の女性10人と合わせ、死亡した19人全員について殺人容疑で立件され、植松はいずれも容疑を認めました。

鑑定留置の期間は翌2017年1月23日までの約4か月間を予定していましたが、のちに延長されました。

パソコンで調べている男性植松は襲撃の途中に施設の職員室にあるパソコンで勤務表を調べ、自分より体格がよい職員がいないことを確認していたことが判明しており、捜査関係者は「殺害計画に沿って合理的に行動しており、心神喪失状態ではなかった」とみています。

捜査本部は2016年12月19日、それまでに立件した殺人容疑に加えて「入所者24人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑」で被疑者植松を横浜地検に追送検し、一連の植松による殺傷行為についてすべて立件しました。

また、県警はその負傷者のうち2人について家族の了解が得られたとして実名を公表しました。

津久井署捜査本部は2017年(平成29年)1月13日、被疑者植松を「施設女性職員2人への逮捕・監禁致傷容疑」「施設職員の男性3人への逮捕・監禁容疑」で横浜地検へ追送検されました。

拘置所2017年1月17日、横浜地検は横浜地方裁判所へ「鑑定留置期間を2017年2月20日まで延長する」ことを請求し認められ、2月20日に鑑定留置が終了し、植松の身柄は午後3時すぎに立川拘置所から捜査本部が置かれていた津久井警察署に移送されました。

植松聖これまでの精神鑑定で植松は「自己愛性パーソナリティ障害」など複合的なパーソナリティ障害があったことが判明しましたが、

  • 「動機の了解可能性」
  • 「犯行の計画性」
  • 「行為の違法性の認識」
  • 「精神障害による免責の可能性」
  • 「犯行の人格異質性」
  • 「犯行の一貫性・合目的性」
  • 「犯行後の自己防衛行動」

の面から犯行時には「完全な刑事責任能力を問える状態」であったため、横浜地検は勾留期限の2017年2月24日までに植松を起訴する方針を決めました。

そして、横浜地検は2017年2月24日に被疑者植松を以下6つの罪状で横浜地方裁判所に起訴し、事件発生から約7か月に及んだ一連の捜査が終結しました。

裁判本事件は横浜地方裁判所にて裁判員裁判で審理されましたが、被害の大きさ・証拠量の膨大さから公判前整理手続が長期化し、2017年2月の起訴から初公判期日まで3年近くを要することとなりました。

被告人・植松は殺傷行為を認めたため、刑事裁判の公判では「刑事責任能力の有無・程度」が最大の争点になります。

横浜市内の精神鑑定経験が豊富な医師によると、一般的に「自己愛性パーソナリティ障害」は、衝動の抑制が効かなかったり理性的な判断が難しくなったりする場合はあるものの、刑事責任能力を左右する精神病とは区別されるといいます。

怒る男性精神病というよりは「性格の大きな歪み」に分類され、自分の意見が通らないと「周囲がいけない」「法律がおかしい」自己中心的な思考に陥りがちになります。

そのうえで、植松の「かなり冷静に一貫した行動や言動」や、事件後の逃走を「自分の行動が犯罪だと認識している」点を指摘し、植松の日常生活には問題がなかったことから「自己責任能力の否定材料が乏しく、起訴はまっとうな判断である」と評しました。

神奈川県知事・黒岩氏は「裁判を通じて、この事件の全容が明らかになることを望む」と表明したほか、相模原市長・加山氏も「原因が究明され偏見や差別のない共生社会の実現につながってほしい」とコメントを出しました。

ポイント

  • 犯人の植松聖が19人を刺殺し計26人に重軽傷を負わせた凶悪な事件。
  • 戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた。

    2.植松聖を観相学で観る

    いつもと同じく観相学で観る前の注意点を話しておきます。

    観相学で観る前の注意点

    僕は植松聖氏に会った事もありませんし、実物の本人を見たこともございません。

    それゆえ、普段僕が直接会って占断する人間のよくてせいぜい7~8割くらいの確度くらいに思っててください。

    注意事項:画像のみで観ると確度は下がります。ご了承ください。写真や動画のみから面相を判断しますので、通常観相学と異なり、かなり信憑性が下がってしまう事だけはご了承ください。

    また彼は大量殺人事件を起こした死刑囚ですが、その辺りを無視してフラットに観ていきましょう。

    植松植松聖えーと、面相どうこうの話ではなく、色々とツッコミどころ満載の写真です。

    人となりはある程度は誰でもわかりそうですね・・・。

    顔型の診断

    顔型まずは顔型からいきましょうか、お金に関してはルーズなのですが、手先が器用というような事がよく言われる形ですね。

    適した言い方をするならばお金に繋がらない上手な趣味があるタイプ。

    美術・技術が得意ではあるが、お金にはつながらないと相書には書かれている系。

    額・生え際の診断

    額・生え際の診断額と生え際からするとやや斜めに直線系であり、柔軟性がないタイプの性格が多いとされます。

    眉・目元の診断

    田宅眉はそんなに悪くないが田宅が狭めであり、目の部分は凶相ではありますが、こだわりや執着が強い眼で、ほとんどが悪い固執に流れと言われている方のです。

    山根・鼻の診断

    山根裸の方では山根もわかりやすく広めですが、鼻はこの面相の中でも最も悪くないどっしりとした鼻です。

    才能やリーダーシップ、財運も付いてくるとされますし、

    耳の診断

    耳耳も吉相なんですよね。

    名誉やお金アリと言われる部分ですが、心に何かを秘めるとも言われております。

    人中・口元の診断

    人中人中は目立たないですので、色々な面でルーズ、口もめちゃくちゃ悪くはないですがTwitterの画像が一番読み取りやすく、自信がない、エフィカシーが非常に低いのでは?という判別になります。

    植松聖眼や表情もTwitter画像が僕がこの方をもっとも鑑定しやすいです。

    植松聖の面相での診断

    植松聖面相だけで読み取るならば、自分のこだわりや執着を主張はするが実力はなく、特技や誇れるものも一流に達するモノもなく、お金にも出来ず、実力のない自分に葛藤してるような人間。

    頭もよくない中途半端な男性であり、観相学ですので、手のポーズや身体のタトゥーまで読み取りにいれると、実力の無さから、そういったモノで他の人から認められたい、目立ちたいという欲求があり、自分の意見を突き通したいと考える人間。

    しかし19人もの殺人をするのか?と聞かれれば、面相などからはわかりようがないですね。

    実力がない分、プラス方向でスターやヒーローにはなれないので、自分勝手な主張を通し、ダークヒーローになる事を望んだのではないでしょうか?

    植松聖大量殺人を犯した後から見ると、凶悪な相に見えたり、逮捕時のカメラに笑ったりと頭がおかしそうなふりをしていますが、頭の良くない人間にありがちな「俺は他の人間とは違う、特別な人間である」という考えを誇示したかった最もださいタイプです。

    何かの才能や実力があって、「正」のベクトルでそれが出来れば良かったのでしょうが・・・。

    主張は「特別人間」ではあるが、内心では「実力不足」に気付いていたのではないでしょうか?

    容姿からフラットに占断しますと、頭が悪く勝手な主張はする身体にタトゥーを入れた半端者で非成功者ではあるが、大量殺人犯になるとは先には読めません。

    彼が事件を起こす前にそれがわかっていたという人がいるならば、それは超能力などのオカルトです。

    ポイント

    • 自分のこだわりや執着を主張はするが、特技や誇れるモノもなく実力のない自分に葛藤してるような人間。
    • 実力がない分、タトゥーやポーズなどで目立とうとするタイプ。

      では次の項目。

      3.植松聖の生い立ち

      本事件の加害者である男・植松 聖は1990年(平成2年)1月20日生まれ。

      拘置所死刑囚として東京拘置所に収監されています。

      植松は1人っ子(長男)で、父親は東京都内の小学校に図工教師として勤務しつつ自治会活動に積極的に参加しており、母親は漫画家だった。

      相模原市立千木良小学校に在学しましたが、小学校時代は同学年および1学年下に一人ずつ知的障害者がおりまして、低学年の時から作文に「障害者はいらない」と記述していたらしいです。

      不良中学時代は熱心なバスケットボール部員で勉強もできる方だった一方、友人と喫煙・飲酒・万引きや器物破損などの非行をしたり、自分の同級生に怪我を負わせた1学年下の障害者を殴ったことがありました。

      東京都八王子市内の私立高校へ進学しましたが、2年生時の夏にバスケットボール部員を殴って停学処分を受け、相模原市内の高校へ転校しました。

      父と同じ教師になることを志し帝京大学へ入学しました。

      学校の教室大在学中には小学校で教員免許を取得するため教育実習を行いましたが、教員採用試験は合格出来ませんでした。

      これは試験を受けていないとWikipediaには書かれていますが、受けたけど合格出来てなかったというのが真相のようです。

      植松聖一方で3年生 - 4年生ごろには刺青を入れたり、大麻など薬物を乱用したりするようになり、大学卒業後は半グレ集団・右翼関係者とも交友を持つようになっていました。

      ポイント

      • 植松聖は小学校時代から作文に「障害者はいらない」と記述。
      • 中・高校時代は喫煙・飲酒・万引きや器物破損などの非行を繰り返し、大学進学後の教員採用試験は不合格となった。
      • 大学時代に刺青を入れたり、薬物を乱用したりするようになった。

        では次の項目です。

        4.植松聖はなぜ事件を起こしたのか?

        全項目で色々と愚行はありました。

        大麻暴力や入れ墨、大麻などです。

        挫折は教員採用試験に落ちていますが、そこまでの人は世間に何人もいるでしょう。

        そんな人間、全員が全員、大量殺人者になっていればえらいこっちゃですよ。

        あくまでもこれは僕の推測の一つでもありますが、幼少期に何かあったのでは?と考えます。

        漫画家前述で母親が漫画家という話をしました。

        実はこの漫画がホラー漫画だったらしいのです。

        植松も小さい頃に母親の漫画や、ホラーの資料を多く見てたのではないか?という気もします。

        カニバリズムの佐川一政も、幼少期におじさんに「人を食べる話」を聞かされたというエピソードがありました。

        完璧な原因究明というのは不可能ですが、「なぜやったと思いますか?」と質問されていた方がいたのですが、そのわからない原因の一つとして「ホラー漫画」というのが、少なからず影響があったのではないかなぁというあくまでも僕の短絡的想像です。

        海外のシリアルキラーの生い立ちを見ても、やっぱり幼少期の出来事が、のちの事件に関係する事が多くあります。

        僕がこの記事を作成するに当たって、ネットで見かけたファクトで一番引っかかったのがそこの部分ですね。

        あくまでも僕の勝手な予想ですので、本来一切関係ないかもしれませんし、ネットや本には出回っていない彼の情報や過去の出来事があるかもしれませんね!

        ポイント

        • 母親が描いたホラー漫画やその資料を幼少期に見たことが影響した可能性あり。
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