目次
動画でも解説しております
はじめに
今日の悪人観相学のコーナーはそこそこリクエストが多かった人なのですが、実はこの事件が少し不可解で有名でして、いつやろうかいつやろうかと悩んでいました。
事件名は「秋葉原通り魔事件」で、観相学で観る人間は「加藤智大」です。
事件の不可解な部分は本当に不可解でして、どうにも説明がつかないファクトが隠されているんです。
というわけで事件考察も含めて本日は記事にしていこうと考えております。
事件についてにもう詳しく知っているぜ!と言う方は観相学の項目まで記事をスキップしてくださいね。
さて、本日はまず「秋葉原通り魔事件」の事件概要からいきましょう。
次に加藤智大の生い立ち、そして次に観相学で加藤智大を観るという項目で、最後はいつもと違って、この「秋葉原通り魔事件」の謎、というか不可解な部分があり都市伝説的に語られている部分がございますので、そちらにも触れる事にしましょう。
では本日の項目です。
- 秋葉原通り魔事件とは
- 加藤智大の生い立ち
- 加藤智大を観相学で観る
- 秋葉原通り魔事件の謎
の四本構成でいきましょう。よろしくお願いいたします。ではまず
1.秋葉原通り魔事件とは
いつものように若い視聴者の方には事件自体を知らない方がおられますので、事件を解説していきます。
秋葉原通り魔事件とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件です。
7人が死亡、10人が重軽傷を負いました。
警察や裁判所、報道、更に犯人自身からは主に秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれています。
2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤 智大(1982年9月28日生まれ 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入し、青信号を横断中の歩行者5人を撥ね飛ばしました。
このトラックは、交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車します。
周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていましたが、トラックを運転していた加藤はそのまま車を降り、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を所持していたダガーで立て続けに殺傷しました。
さらに加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走します。
事件発生後まもなくして近くの警視庁万世橋(まんせいばし)警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し距離を詰めたところ、防護服を斬り付けられるなど命の危険に晒されたものの、警棒で加藤の側頭部を殴りつけるなどして応戦、最後は拳銃の銃口を加藤に対して向け、武器を捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告しました。
それに応じダガーを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕しました。
事件当日は日曜日で、中央通りは歩行者天国の区域となっており、買い物客や観光客でごった返している中での犯行だったため、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇でした。
後に加藤は5本ナイフを所持してたことがわかっています。
警視庁捜査一課・万世橋署は6月10日、加藤を東京地方検察庁に送検、同地検は7月7日、加藤の精神鑑定のため、東京地方裁判所に鑑定留置を請求し認められました。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されております。
これらの犯行に対する救命活動はおおむね迅速に遂行されました。
犯行現場にいた一般の通行人は、加藤がまだ拘束されていない段階から積極的に被害者たちに対する一次救命処置を開始し、また、携帯電話などを活用しての迅速な通報がされました。
東京消防庁は12時36分に最初の119番通報を受信、12時43分には最初の救急隊が現場に到着しています。
現場到着部隊は、通常の態勢で対処できる状況ではないと判断し、現場到着とほぼ同時に、災害派遣医療チーム (DMATディーマット) の出場を要請、東京消防庁は東京DMATに対して出動要請を行った。
12時47分には消防の現場指揮本部から応援要請を受け、多数の傷病者に対応するための「救急特別第1出場」を発令、救急隊10隊や、東京DMATの支援のための消防隊(東京DMAT連携隊)などを追加出動させました。
13時過ぎにはDMATチームの現地指揮所が設置され、最初に現場に展開した日本医大チームが全体の指揮をとることで指揮系統が確立されました。
これらのDMATチームが主導することで、救急活動はおおむね円滑に遂行されたと評価されています。
17名がトラックではねられる、ナイフで刺されるなどの被害を受け、そのうち7名が死亡しました。
通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられており、被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては、7年前の同じ日に発生した附属池田小事件に次ぐ惨劇になりました。
加藤によると、殺人を目的として事件を起こしたのではなく、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段だったといいます。
事件直前には中止を考えたものの既に掲示版で犯行予告を行っていたため、懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行しました。
トラックで人をはね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件を、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にし、犯行2日前に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店でナイフ類6本を購入し、犯行前日に静岡県沼津市のレンタカー店で2トントラックを予約して犯行に及びました。
加藤は事件現場で現行犯逮捕されて以降、拘置所において弁護士以外との面会を拒否し、手紙の受け取りも拒否し、マスコミの取材も拒否していますが、その一方で2012年から事件に関連した著書を発表しました。
というまずは事件概要について解説をしました。
ポイント
- 2008年6月8日に東京都秋葉原で発生した通り魔殺傷事件であり、犯人は加藤智大。
- 7人が死亡、10人が重軽傷を負う通り魔事件としては過去30年で最悪の事件である。
では次の項目です。
2.加藤智大の生い立ち
何度も繰り返しますが、近代観相学は相手の顔面だけで捉えるわけではなく、相手の情報全てから人間像を引き出すものですので、どのように育ったか、どんな仕事をしていたか、という点も当たり前ですが重要になってきます。
精神科医ジョン・マーシャル・マクドナルド氏の「マクドナルドの3要素」もいわば、そういう事です。
幼少期の行動がその人をサイコパスかどうか判定するツールとして使います。
それと同じ事です。ではみていきましょう。
誕生から学生時代まで
加藤智大は1982年9月28日、青森県五所川原市で生まれます。
1998年4月に青森県立青森高等学校に入学します。(母が卒業した学校であり母が進学を望んでいました)
2001年2月、青森県立青森高等学校卒業しますが、望んでいた北海道大学への進学が出来ませんでした。
2001年4月、中日本自動車短期大学自動車工学科に入学します。
2003年3月に中日本自動車短期大学自動車工学科を卒業します。
学業に意欲を持てず成績は低迷し、自動車整備士の資格は取得出来ませんでした。
社会人生活
社会人生活2003年4月、母から資金提供を受け、宮城県仙台市にアパートを借りて一人暮らしを始め、仙台市の警備会社に就職、警備事業部に配属され、警備現場の警備員に配属されました。
雇用形態は準社員で、月収は残業を含めて、多い月で25万円に達したと言われています。
同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がいました。
2004年1月、内勤に異動になり、警備業務の案件ごとに必要な人を配置する職種に配属されます。
月収は固定給になり手取りで17万6000円となりました。
ここでも、母から資金の提供を受けて、自動車運転免許を取得、30万円の自動車を購入します。
この頃、消費者金融から借金しています。
その後、職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し、警備会社を退職しました。
一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社と契約し、埼玉県上尾市の自動車メーカーの工場に派遣されます。
住居は派遣会社が提供する独身寮でした。
月収は残業や休日出勤を含めて、多い月で27万円に達しました。
同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人はできませんでした。
この時、ネット上の掲示板への投稿に深入りするようになりました。70万円の自動車を借金して購入します。
職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し、またしても派遣会社を退職します。
次に一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社と契約し、茨城県つくば市の住宅部品メーカーの工場に派遣されます。
住居は派遣会社が提供する独身寮で、同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人はできませんでした。
そしてまたしても、職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し派遣会社を退職します。
青森や仙台時代の友人宛に、「自殺するつもりである」と携帯電話のメールで送信し、青森の母宛に電話しました。
メールを受信した友人たちは、考え直すよう説得するメールを返信しました。
3年ぶりに両親宅に帰宅し母と面会します。
母は子供時代の教育姿勢を謝罪します。
また後ほど、母親の教育法を話します。
母は次に仕事が決まるまでしばらく自宅で休養するように勧めます。
父は「このまま自宅にいていい」と言ってくれました。
高校時代の友人たちとたびたび飲食し歓談し、母から資金提供を受けて大型自動車運転免許を取得します。
2007年1月、青森の運送会社に大型輸送車の運転士として就職します。
3月に雇用形態が正社員に変更されます。
同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がここでは出来ました。
また、高校時代の友人たちとの交友関係も継続していました。
自宅を出て青森市内にアパートを借りて一人暮らしを始めます。
ネットの掲示板の投稿者と面会する2週間の旅行のための休暇を会社に対して申請しますが、会社から却下されたことに対する抗議の表明として無断欠勤し、運送会社を退職して、借金の返済をしないまま青森を去りました。
掲示板の投稿者と面会するための旅行を繰り返します。
掲示板の投稿者宛に、自殺するつもりであるとメールを送信し、メールを受信した人たちには考え直すように説得されます。
駐車場に無断駐車した自動車内で寝泊まりしていて、警察官に職務質問され、自殺するつもりと供述し、警察官にも考え直すように説得されます。
極度のかまってちゃんですよね。
一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社である日研総業(現・日研トータルソーシング)と契約し、関東自動車工業の静岡県裾野市に所在する工場に派遣されます。
住居は派遣会社が提供する独身寮でした。
日勤と夜勤の交代制で、月収は残業や休日出勤が多い月は手取りで20万円(寮費を引いた金額)、残業や休日出勤が無い月は手取りで14万円ほどでした。
同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がいました。
更に、ネットの掲示板への投稿に深入りするようになりました。
2008年5月、派遣会社が6月末での派遣契約の解約と、希望者には他の派遣先を紹介すると通知されたため、他の派遣先で就業することを選びました。
加藤自身はそのことについて特に不満はありませんでした。
この直後、掲示板をなりすましに荒らされ、掲示板荒らしが去って孤独を感じ、掲示板に通り魔事件を起こすと投稿するようになります。
更衣室で自分の作業服が見つからないことを理由に無断欠勤して、そのまま職場放棄します。
その後は掲示板に通り魔事件を起こすとの予告投稿を繰り返し、通り魔事件に使用するダガーナイフを準備して6月8日の事件に至ります。
精神科医による分析
精神科医の片田珠美さんは加藤の弟による手記を分析し、
と指摘しています。
一方で加藤は片田のこの著書を「様々な間違いの集大成といえるもの」とし、自分は現実に適応してきた現実主義者だったと反論しております。
母親の異常な教育方法
前述しました、母親の教育方法ですが、加藤が子供の頃、母親は異常なまでに厳しかったという話です。
母親は完璧主義者で加藤らにもあり得ない躾を行っていました。
ゲーム、漫画、テレビは大きく規制があり、まぁこの辺は各家にルールが僕らも子供時代ありましたが、他には友達と遊ぶのも禁止、泣くと口にタオルを詰められる、10回泣くと屋根裏部屋に監禁。
泣くことがポイントカードシステムになっているのはおそろしいです。
母親の問いにすぐ答えられないとビンタ、食べるのが遅いと、食べ物を新聞紙の上にまき散らし、それを「食べろ」と言うってここら辺は親として、食べ物に対するマナーはどうなのか?って話ですよね?
そのほかは九九を間違えたら、風呂に沈めると、虐待と呼べるレベルの躾です。
海外のシリアルキラーと同じで僕はこの少年期の育てられ方が大きく、後の犯罪に関わっていると考えます。
ポイント
- 加藤は派遣などの仕事を転々し、不満があると無断欠勤し、すぐに辞めていた。
- ネットの掲示板に深入りをしていた。
- 加藤の母親は完璧主義者で、虐待に近いあり得ない躾を行っていた。
それでは次の項目です。
3.加藤智大を観相学で観る
生い立ちがまぁまぁハードモードなんで結構時間が取られましたが、いつもと同じく観相学で観る前の注意点を話しておきます。
観相学で観る前の注意点
僕は加藤智大氏に会った事もありませんし、実物の本人を見たこともございません。
それゆえ、普段僕が直接会って占断する人間のよくてせいぜい7~8割くらいの確度と思っててください。
写真や動画のみから面相を判断しますので、通常観相学と異なり、かなり信憑性が下がってしまう事だけはご了承ください。
また彼は殺人事件を起こした犯人ですが、その辺りを無視してフラットに観ていきましょう。
うーん、厳しい。いつにもまして厳しい(笑)
まともに見える写真がこの一枚しかなく、これはおそらくかなり若い時の画像でかつメガネ使用なんですよね。
もちろん度ありの眼鏡でしょう。
今回の面相は7.8割どころか5割くらいでしょう。
ここから彼が成長した顔を想像しながらいきましょう。
顔の形・額の診断
顔も角度がついて正面から見えませんが、顔の形は悪くありません。
本来この犯罪を犯していなけば、人脈を多く作れビジネスを成功させたとしてもおかしくなく、プラスして額は大きく頭が聡明とされるわかりやすい吉相です。
額紋がないのは若さゆえかもしれません。
生え際・眉の診断
生え際も悪くはありませんし、眉もまぁ普通です。
吉相でもなければ凶相ともないですし眉間の紋もありません。
やはり彼がせめて20代後半くらいの状況になってから観たかったですね。
山根の診断
山根はメガネのせいで見えません。
目の診断
この目でよく言われるのは感情を表に出さないタイプとされる取り方ですが、あまり良くないとされる方ですね。
心に何か思いや恨みを秘めて・・・と言われます。
鼻の診断
鼻、鼻の穴ともよくないですね。
鼻の穴がよく見えています。だらしなさやワガママさが目立ちます。
耳の診断
耳はわかる人はすぐわかる凶相ですね。
人中の診断
人中は長く、おませさん要素がありますね。
面相による加藤智大の診断
とこの辺りが彼の若き日の面相で観れる部分でしたが、さすがにもう少しだけ年齢を重ねた写真でもないとこの一枚だけでは正直厳しいです。
この一枚の面相だけで占断するのであれば、頭は良くビジネスでも粘っていれば成功出来たであろうが、我慢や忍耐が出来ない人間であり、ちょっと伸びたとしてもアラフォーくらいの年齢にならないと、何も出来なかったでしょうね。ビジネスでも恋愛でも。
無論、この一枚のみで彼をサイコパスとか大量殺人者って読めるっていうのはあり得ないオカルト後出しじゃんけんで、とてもそんな風には見えなくて当然です。
事件の原因、彼の性格の形成はありきたりではありますが、やっぱり幼少期の彼の虐待に近い母親の過剰な躾の影響が大きいと観ます。
ポイント
- 頭が良くビジネスでも粘っていれば成功出来ただろうが、我慢や忍耐が出来ない人間であると観るが、この写真一枚だけで大量殺人者とは読めない。
- 事件の原因は幼少期の母親の過剰な髪の影響が大きいのではないか?と観る。
では最後の項目です。
4.秋葉原通り魔事件の謎
実は一説に、秋葉原通り魔事件、加藤智大単独犯はあり得ない、という説がございます。
この事件、あまりにも不可解な点や謎が多すぎると言われています。
通行人が大勢いる街中、それも歩行者天国で、無差別にナイフを使って、2分という時間、200メートルの中で12人も刺せるのか?という意見があります。
元神奈川県警捜査員は「2分で12人も刺せるはずないだろ」、元公安捜査員は「テレビゲームじゃないんだぞ」と話しています。
この短い時間と距離で、あれだけの人間を殺傷することがきわめて難しいのです。
加藤本人もナイフをこの時初めて使用したと供述しています。
ナイフの素人が初めて使って、12人も短時間で刺せるのはおかしいのです。
あの、運動神経抜群の鞍馬彦一でさえ、不慣れな刃物を使用して、丹波文七に瞬殺されていましたからね(笑)
すいません、マニアックな例えで!
とまぁこの部分の真相が明かされる時はくるんでしょうか?
この件についてはネットで記事などが多く上がっていますので、気になる方はググってみてくださいね。
ポイント
- 素人が2分で200メートルの中で12人を殺傷するのは極めて難しい。
- 単独犯はあり得ないという説があるが真相はいかに・・。