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はじめに
本日も偉人観相学のコーナーです。このコーナーは如実にとりあげる人によって閲覧数が変わります。そして約数名の方が、その偉人のやっていた噂や逮捕などで「どこか偉人や!」という意見がきますが、各人、裏ではどのような事実があるかはわかりません。
本人やそのご家族くらいしかわからないですし、噂の真相はわからないですからね。
しかし、各人ともに表での功績は「偉人」と呼んでも差し支えないのない人たちだと僕は思うんですけどねぇ・・・。まぁ意見というのは人それぞれあるので、しょうがない事です。
僕の相談者の一番偏屈じいさんはすごい成績を残している野球選手・サッカー選手・ゴルフ選手を全て、「そんなのは玉遊びじゃ。偉くもなんともない」みたいな事を仰られるんで、誰も突っ込みません。すごい大きな会社の会長なんですけどねぇ。突っ込めないというか怖くて誰も意見出来ないだけです(笑)
今日の人物は「やなせたかし」さんです。日本の漫画家で「アンパンマン」で有名です。今日もどのような人生を歩んできたのか、から話しますので、そういった内容に興味の無い方は観相学のコーナーまで飛ばしてください。
やなせたかしさんはどんな生き方をした人なんでしょうか。
僕、漫画や漫画家に結構詳しい方の人間だと思うんですよ。自分でいうのもなんですが。一度、友人が漫画評価サイトを作るから、レビュアーやってくれと頼まれた事があります。
しかし、僕はこのアンパンマンとやなせたかし先生にはノータッチなんで、知識ゼロに近いです。ドキンちゃんとか食パンマンくらいまでしか知らないにわかですし、やなせ先生の知識は皆無です。それゆえ、フラットな診断が出来るでしょう。それでは本日の項目です。
- やなせたかし先生はどのような人生を歩んだか
- やなせたかし先生を観相学で観る
- やなせたかし先生から何を学ぶか
の三項目で話していきましょう。よろしくお願いします。ではまず、
1.やなせたかし先生はどのような人生を歩んだか
アニメ作品「アンパンマン」の原作者であり、漫画界にも大きな影響を与えてきた「やなせたかし」先生ですが、本業の漫画家だけでなく、絵本作家・詩人・舞台芸術家としてマルチな才能を発揮した人物としても知られています。
多くの方はやなせ先生の出身を高知県だと思っている方も少なくないようですが、出生地は現在の東京都北区です。父母の郷里が香北町であることから、ご本人は高知県出身だとしています。現在でも高知県香美(かみ)市に「やなせたかし記念館」があることから見ても、やなせ先生と高知の関係は密接に繋がっていると言えるでしょう。
生い立ち
やなせ先生は大正8年(1919年)に生まれ、3歳まで東京で過ごしますが、大正12年(1923年)年に父の上海赴任に伴って、父母の故郷へ引っ越しました。2歳下の弟千尋と野山を駆け回って楽しく過ごす日々を送りますが、その生活は父の死によって一変します。
千尋は南国市で開業医をしていた叔父に養子として引き取られ、やなせ先生は母・祖母とともに、高知市にある医者宅の離れで暮らし始めました。
やがて小学2年生になった頃、母が再婚。やなせ先生は千尋がいる叔父の家に預けられ、後免野田組合尋常小学校に編入しました。
県立城東中学校へ進学したやなせ先生は、とにかく図画を描くことが得意だったそうです。やがて絵を描くことを志し、絵に関係した学校へ行きたいと願うようになります。
そんなやなせ先生の気持ちを汲み取った叔父の勧めもあり、商業デザインを学ぶために東京高等工芸学校に進学しました。叔父はやなせ先生が困らぬよう十分な仕送りを絶やさず送ってくれたといいます。後年、やなせは第二の父でもある叔父に感謝してもし尽くないと語っています。
昭和14年(1939年)に工芸学校を卒業したやなせ先生は、叔父の役に立とうと東京田辺製薬に就職しました。
1年後に召集され、九州小倉の野戦重砲兵第六連隊補充隊へ入隊しました。終戦を迎えたやなせ先生は、翌年になって日本へ復員。
高知へ戻ると従軍時代の友人に誘われて、くず屋を手伝うことになりました。そんな時、進駐軍がゴミで出した雑誌の挿絵を見るうちに、やなせ先生の心のうちで制作への意欲が高まったといいます。
上京と結婚
昭和21年(1946年)に高知新聞へ就職。高知新聞時代には新たな出会いもありました。それが同僚の小松暢(のぶ)との出会いです。
目の前のデスクにいつも暢が座っていましたから、すぐに気にかかる存在となり、やなせ先生の方から好意を持つことになりました。ところが暢は東京で代議士の秘書を務めることになり、高知を去ってしまいます。
彼女への思いを断ち切れないやなせ先生は、1年後に暢を追いかけて上京しました。そしてその年のうちに結婚するのです。
やなせ先生は漫画家として生計を立てようとするものの、その収入は微々たるものでした。
当時の漫画家はみんな食うや食わずだったため、やなせ先生は「貧乏なんて嫌だ!」とばかりに、まず食べられる道を探します。
たまたま三越の就職試験を受けたところ、なんと合格。
宣伝部へ配属されてグラフィックデザイナーとして活躍するようになりました。
専業漫画家を目指しつつマルチな才能を発揮
昭和28年(1953年)、やなせ先生は三越を退職して専業漫画家への道を志します。すでに漫画の収入が本業の3倍ほどになっており、「これなら十分食べていける」と踏んだわけです。34歳の時でした。
やなせ先生自身もなかなかヒット作を生み出せず、苦労を重ねたといいます。
しかし根が明るくて面倒見が良いやなせ先生は、落ち込む若手漫画家を絶えず励まし続けました。そして多くの漫画家が精神的、経済的に助けられたといいます。
「あしたのジョー」や「明日天気になあれ」などのヒット作で知られるちばてつや先生も、やなせ先生に助けられた一人でした。ちば先生は後年になって回想しています。
と。
漫画家としてなかなか大成できなかったやなせ先生でしたが、時代の変化とともにマルチな才能を発揮することになります。
舞台の美術制作や放送作家などの仕事が次々に舞い込み、さほど生活に困らなかったとも。やがてその才能は広く知られるところとなりました。
手塚治虫先生に認められる
やなせ先生が手塚治虫先生と組んだのも、優れた才能を認められたからです。
かねてからやなせ先生の漫画を気に入っていた手塚は、劇場アニメ「千夜一夜物語」の制作時に、美術監督としてやなせ先生を招聘。配給収入で2億9千万円という大ヒット作となりました。
また、やなせ先生が絵本作家としてのデビュー作となった「やさしいライオン」が劇場アニメ化される際、力を貸したのも手塚先生です。
と言ってポケットマネーで出資しました。
やなせ先生は詩人としても知られる存在となります。まだ小さな絵本出版社だった山梨シルクセンター(現在のサンリオ)社長の辻信太郎と意気投合し、同社から詩集「愛する歌」を刊行しました。
絵本「あんぱんまん」の発行
そして、ついにやなせ先生の代表作といえる「アンパンマン」が登場します。
昭和44年(1969年)、「雑誌PHP」10月号において発表し、4年後には子供向けの絵本「あんぱんまん」として改作されました。ところがアンパンマンが貧しい人々を助けるという内容だったため、「幼児が読むには難解」だとされました。当時の批評家や幼稚園教諭などから酷評されたといいます。
ところがアンパンマンは次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などから注文が殺到するようになります。
やなせ先生自身も幼児が親しみやすくするために、アンパンマンの容姿を3等身に改めるなど、シリーズを重ねていくに従って、アンパンマンのキャラ付けや、仲間たちの設定、そしてバイキンマンなどの敵キャラクターが増えていきました。
アンパンマンが爆発的な人気に
昭和63年(1988年)、テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放映が日本テレビで開始され、爆発的な人気となりました。またテーマソング「アンパンマンのマーチ」をはじめ、アニメの音楽の多くをやなせ先生が作詞しています。
やなせ先生が関わったアンパンマンシリーズは、関連も含めて350タイトル、累計販売部数は6800万部という金字塔を打ち立てました。
1990年代以降になると、老齢の域に差し掛かかったやなせ先生ですが、精力的な活動は衰えを見せませんでした。
様々な賞を受賞すると同時に、平成4年(1992年)には故郷の高知県香美市に「やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアム」が開館。
私生活では平成5年(1993年)に長年連れ添った妻の暢が死去。夫婦に子供はいませんでしたが、
と常々語っていたそうです。
また暢の病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護婦さんや見舞い客に配っていたとも。
その精力的な活動は創作活動だけにとどまりません。テレビや雑誌など多くのメディアに登場し、子供たちのために元気な姿を披露していました。
引退宣言
生涯現役を貫こうとしたやなせ先生でしたが、その体はすでに満身創痍でした。白内障にはじまって心臓病、腎臓ガンなどを次々と患い、自らを「病気の総合商社」と揶揄するほどだったとか。
さすがにやなせ先生も90才を目前にして耳も遠くなり、目もよく見えなくなりました。そして周囲に引退することを宣言します。
晩年のやなせたかし
しかし、程なくして2012年(平成24年)、あの東日本大震災が起こりました。
震災直後からラジオで「アンパンマンのマーチ」が流れ、被災地の子供たち、そして大人たちも励まされたといいます。そしてアンパンマン宛ての手紙が届いていると知ったやなせは、涙を浮かべながら感謝し、心を奮い立たせました。
そう決心したやなせは体作りに精を出します。朝6時に起床して入念にストレッチを行い、それを「ダン爺体操」と言って楽しんだといいます。
その後も持ち前のユニークなキャラを貫き通したやなせ先生でしたが、平成25年(2013年)に体調を崩して入院。それから2ヶ月後に心不全を起こして還らぬ人となりました。
やなせ先生が考える正義について
やなせ先生は生前、「正義」について度々語っています。
そこにはかつて経験した戦争が大きなバックボーンになったのでしょう。
本当の正義とは、大義名分を振り上げて戦争をするものではなく、飢えて苦しんでいる人を助けることが正義なのだと。苦しむ人たちを救う手段は、美辞麗句だらけのスローガンや金品ではありません。一切れのパンをあげる人こそ正義の味方なのだと語りました。
やなせ先生のそういった考えからアンパンマンは生まれたといいます。
けれども正義を貫くには傷つくこともあります。だからこそアンパンマンは自分の顔を食べさせることで、ひもじい思いをしている人々を救えたのです。
ポイント
- アニメ作品「アンパンマン」の原作者であり、絵本作家・詩人・舞台芸術家としてもマルチな才能を発揮した人物。
- 根が明るくて面倒見が良く、落ち込む若手漫画家を絶えず励まし続け、多くの漫画家が精神的経済的に助けられた。
では、次の項目です。
2.やなせたかし先生を観相学で観る
いつもと同じく観相学で観る前の注意点を話しておきます。
観相学で観る前の注意点
僕はやなせたかし先生に会った事もありませんし、実物の本人を見たこともございません。それゆえ、普段僕が直接会って占断する人間のよくてせいぜい7~8割くらいの確度に思っててください。
写真や動画のみから面相を判断しますので、通常観相学と異なり、かなり信憑性が下がってしまう事だけはご了承ください。
なかなか、いい写真がありませんでした。若い時のは本当に数枚、メガネかけてないのは見つけられませんでした。仕方がないのでそこは想像でいきます。
顔の形の占断
いつものように顔の形からみていきましょう。長方形ですこし面長の顔をしているのが若い時の白黒写真でもよくわかりますが、これは男性ではめちゃくちゃ良い吉相と昔から言われています。
しかし女性の場合では、完全に吉相というわけではなく、逆に作用する事もあると言われていますが、先生は男性ですのでバッチリです。財運や出世、ずっと幸せに暮らせるとまで言われている部分ですね。
この若い時の写真は大変貴重で年老いてからの先生とは違う部分も見られますし、額や生え際もこの拾ってきた写真くらいでしか観れません。というのも先生はほとんどの写真で帽子を被っていらっしゃいます。メガネ率は100%でした(笑)
額の占断
額が広いのは非常によく、額紋もないですし、綺麗ですよね。生え際の部分は直線系ではなく少しだけなだらかな円を描いております。心の優しさやおおらか。
男性でこのタイプはその部分を悪い女性に出会うと付け込まれてしまうのでそこは気を付けないといけませんが、一応良い方の面相になります。
眉の占断
こっからの読み取りがかなり厄介でして、眉がまずどの写真でもメガネのフレームと重なって、実際の形が完璧にわからないんですが、人と人とのつながりが成功を導いてくれるといわれるタイプの眉であろう、と予測します。
この目・眉付近はちょっとだけ鑑定あやふやですが、ごめんなさい。適当にこう!とか言ってもバレないかもしれませんが、そういったいい加減な事はしたくないので。田宅や山根、印堂なども飛ばします。
目の占断
目の占断もメガネ越しなので難しいですがこの画像を観る限りはひょっとしたら斜視なのかもしれませんね。
この部分はオリジナリティーにあふれ、その部分が成功を導くと読み取りされる部分です。形は笑顔が多くこれまた読みにくいのですが、目が細いように見えますが、これは蛇眼などとは違い、吉相で、おおらかさ、器の大きさ、人間の大きさを表す目でしょう。
やなせ先生の顔をまじまじと今まで観た事がありませんが、相書読み取りでいくとかなりの善人相であるので、僕も勉強になります。観相師をやっていなかったら、やなせ先生をこんなに細かく観る事はなかったでしょう。
ただ一つ願望を述べさせて頂くのならば、30歳~40歳の眼鏡がない状態の先生を占断させて頂きたかったですね。年取ってからのはだいぶと相や表情もいいものが多いんですよね。では続けていきます。
耳の占断
耳もきちんと大きく、内輪が少し出ていて、垂珠も広いのでいいです。自分の実力でお金を手にするタイプです。
鼻の占断
また鼻も穴の向き以外は吉相で、出世や財運も良しとされますが、お金が出ていく事もあります。
ほうれい線の占断
ほうれい線も長く、口角についていないので、こちらは自分に合った仕事を見つけられて、成功できる人との読み取りがもっともポピュラーでしょう。
唇の占断
唇に至っては、白黒の若い時の方で読みましょう。歳を取ってくると自然と唇が薄くなりますので、診断が安定しませんからね。
口の占断
口は非常に良く頭の機転がよく聞く器用さをもっていて、情に厚いと取れるでしょう。
やなせたかし先生の面相のみでの占断
非常にね、良いところばかりが目立つ顔でした。いいですね。メインパーツがここまで、ほぼ吉相というのは随分珍しいですね。ちょっと自分で画像観ながら、リーディングしてて驚きました。このコーナーやってて正直良かったです。
はい、では顔面だけでやなせ先生を占断させて頂きますと、目立つのはやっぱり温厚さ、優しさ、頭脳の良さ、機転、そして人間力。
財運・成功・出世を語るよりは、こういう人間像の人だから、あのような平和で子供たちに愛される「アンパンマン」という作品が書けたのだなぁという感心だけが残りました。
ポイント
- メインパーツがほぼ吉相である。
- 目立つのは温厚さ、優しさ、頭脳の良さ、機転そして人間力。
最後の項目です。
3.やなせたかし先生から何を学ぶか
やなせ先生は
との言葉を残しており、その通りの人生を歩んできた人でしょう。
中々、先生のように正義を体現して子供たちのヒーローを作り出す事は難しいです。しかし僕らも家族や友達・恋人など、せめて自分の周りの人達だけでも幸せに出来るように行動していきたいですね。
ポイント
- やなせたかし先生の「正義」についての言葉から、自分の周りの人たちだけでも幸せに出来るように行動していきましょう!