立川談志

動画でも解説しております

はじめに

落語家今日は偉人観相学史上、はじめての職業の方のリクエストが来ていました。その職業は落語家さんです。

僕はお笑いが好きなんですが、落語というジャンルに絞ると正直、生きてきた中でちゃんと観たのって数える程です。生で鑑賞したのは友人に繫昌亭という大阪天満にある所に連れていってもらった事が一度だけあります。それゆえあまり造詣がありません。

立川談志そして本日リクエストを頂いていた落語家さんは立川談志さんです。現在、活躍されている立川志らくさんやダンカンさんのお師匠ですが、僕は談志さんの落語を一回も観た事がありません。

立川談志テレビでも観かけたのは初期のM-1グランプリの審査員をされていたくらい。あとはそのM-1グランプリでポイズンガールバンドにネタにされていたのを覚えてくらいですので、今日はかなりフラット診断が出来そうです。

いつものように立川談志さんがどのような人生を送ったのか、から解説しますので興味がない方は観相学のコーナーまで記事をスキップさせてください。

さてさて、今日も頑張って観相学で観ていきましょう!本日の項目です。

  1. 立川談志さんはどんな人なのか?
  2. 立川談志さんを観相学で観る
  3. 立川談志さんから何を学ぶか

の三本構成でいきましょう。よろしくお願いいたします。ではまず、

1.立川談志さんはどんな人なのか?

立川談志伝説の落語家と呼ばれた噺家は数々いますが、談志さんほど強烈なインパクトを残した人はいないでしょう。良く言えば「恐れを知らない炎上家」、悪く言えば「破天荒」「毒舌家」といったイメージでしょうか。とはいえ気が小さく、不器用だったというエピソードも伝わっています。

B'zの稲葉さんと談春現在テレビで見ない日はないほどメディアに登場されている立川志らくさんや、俳優としても活躍している立川談春さんなど、みんな談志のお弟子さんだったりします。談春さんはB'zの稲葉さんとの対談動画で僕は初めて知りました。

今回はそんな談志さんの人生について、数々の逸話・伝説を含めてひも解いていきましょう。

16歳で落語界へ

立川談志こと松岡克由(かつよし)は、昭和11年に東京で生まれました。

浅草松竹談志と落語の出会いは小学校5年生の頃でした。伯父に連れられて行った浅草松竹演芸場で、初めて生の落語を見た談志は、その話芸に魅了されたそうです。それから演芸場へ通い詰めるうちにますます虜になっていきました。

5代目柳家小さんに16歳で弟子入り。柳家小よしという名前を与えられて修行に励みました。巧みな話芸で人気を博しつつあった5代目柳家小さんに16歳で弟子入り。柳家小よしという名前を与えられて修行に励みました。

漫才師当時の談志は落語だけにとらわれなかったようです。キャバレーやストリップ劇場の幕間でスタンダップコメディーを披露するなど、多彩な才能を開花させて人気者となりました。

3代目古今亭志ん朝談志より後から入門した3代目古今亭志ん朝が真打に昇進するという話が浮上しました。悔しがる談志は志ん朝に

立川談志
「辞退しろよ」

と迫りますが、そんなことができるはずもありません。5代目三遊亭圓楽さらに弟弟子だった5代目三遊亭圓楽にすら抜かれてしまいます。こうして落語協会に対する悔しさと不満が、のちのちまで禍根を残すことになりました。

破天荒な結婚エピソード

結婚昭和35年、談志は妻則子を迎えましたが、この結婚エピソードがまさに破天荒なものでした。2人の出会いは談志が20歳、則子が17歳の頃でしたが、婚約者がいた則子を強引に口説き落としたといいます。

立川談志を襲名

立川談志昭和38年、ようやく談志は真打に昇進し、改めて「立川談志」を襲名しました。

談志が真骨頂を発揮したのは古典落語で、談志が挑んだのは落語の復興でした。当時の落語は「寄席へ足を運んで見るもの」とされ、やや敷居の高い存在だったようです。落語を誰もが楽しめるよう、テレビ局に自分の企画を持ち込みました。

落語は噺の最中にコマーシャルが入れられない。だったら大喜利をやったら良いんじゃないか。

笑点この企画こそ「笑点」の前身である「金曜夜席きんようよるせき」という番組でした。

日本テレビで昭和40年から放送が始まり、今の「笑点」と同じく「金曜夜席」も演芸と大喜利の二部構成だったといいます。日曜日夕方のスポンサー枠を持っていた龍角散から「視聴率が取れる番組が欲しい」と依頼があり、曜日と時間帯が移動になり、新番組を「笑点」と名付けたわけです。

初期の笑点初代司会者を務めたのが企画者でもある談志でしたが、視聴率は伸び悩みます。それに伴って出演者との関係もギクシャクしたものとなり、衆議院議員総選挙に出馬することもあって、3年半で司会者を降板することになりました。

政界への進出とバッシング騒ぎ

立川談志 立川談志昭和44年、第32回衆議院議員総選挙に東京8区から無所属で出馬しましたが落選しました。それから2年後、第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して初当選を果たしました。

政治家になっても談志の破天荒ぶりは変わりません。

二日酔い昭和50年、沖縄開発庁政務次官に任命された談志ですが、那覇で開催された海洋博を視察後に記者会見がおこなわれました。その席で談志は二日酔いで出席して大問題となります。さすがに不謹慎だと断じた地元記者はこう問いかけたそうです。

記者
「あなたは公務と酒、どちらが大切なんだ?」

すると談志は悪びれもせずに

立川談志
「酒に決まってんだろ!」

と毒づいてしまいました。そして見事に炎上するのです。

これには身内の自民党からも批判が続出し、わずか36日にして政務次官を辞任することになりました。

立川談志また現在なら、女性蔑視としてバッシングを受けることもやらかしています。寄席で落語を披露していたところ、下品な若い女性たちがうるさくしていたそうです。それを見かねた談志はこう言いました。

立川談志
「まあ今のうち楽しんどけ。あとは緑のおばさんになるしかねえんだから」

この様子がテレビ中継されていたため、たちまち炎上しました。緑のおばさん「緑のおばさん」とは緑色の服を着た学童交通擁護員のことです。多くの女性やマスコミからの猛バッシングに晒されることになりました。

やがて参議院議員としての任期が終わり、2期目を目指すのかと思いきや、談志は直前で出馬を取りやめました。

落語に専念するも、破門

師匠と談志改めて落語に専念するようになった談志ですが、師匠の柳家小さんから破門される事態となります。

そのきっかけとなったのが真打昇進試験でした。昭和58年の昇進試験に臨んだ談志の弟子2人が不合格となり、明らかに実力が劣ると思われた落語家が合格したのです。

談志は、落語協会会長を務めていた小さんに対して大いに反発し、世間は師弟の大ゲンカだと話題となりました。かつて自分が真打に昇進できなかった不満もあったのでしょう。

落語立川流を創設して家元となりました。談志は落語協会を脱会し、落語立川流を創設して家元となりました。この行動によって小さんから破門とされたわけです。

とはいえ当の本人同士は険悪というわけでもなかったようです。談志いわく、小さんとの間柄は「親子のようだった」と述懐しており、小さんが亡くなった時には

立川談志
「師匠はいつも俺の心の中にいる」

とコメントしているほど。

立川談志

談志といえば髭をたくわえてヘアバンドを巻くなど、ワイルドな風貌がトレードマークになっていますが、そういう雰囲気になったのは、立川流を立ち上げた頃からでした。

天才落語家の最期

手術平成9年、談志は食道癌にかかり、摘出手術を受けました。これが長い闘病生活の始まりとなります。

入院前の記者会見で堂々とタバコを吸ってみせ、

立川談志
「癌になったくらいでタバコや酒をやめるなんて、意志の弱い奴がすることだ」

とうそぶき、周囲を驚かせたといいます。そして手術が終わって退院することが決まると、再び記者会見を開きます。この時はなんと病院のベッドの上寝そべりながら会見を行いました。

喉その後も精力的に活動していた談志でしたが、10年ほど経つ頃になると喉に違和感が現れます。声がしゃがれ、出にくくなったことで落語にも精彩を欠くようになりました。さすがに気になった談志は精密検査を受けたといいます。

その結果、声門癌が発見され、再び闘病生活を送ることになりました。談志は声帯の摘出手術を行わずに、化学療法と放射線治療という方法を選択したようです。

平成22年、ようやく高座に復帰した談志でしたが、体も痩せ、声もしゃがれたままだったため、全盛期を知るファンはみな心配したそうです。

翌年3月、懸命な治療の甲斐なく癌が進行しており、ついに声帯を取ることに踏み切ります。

立川談志
声を失った落語家はもう落語家じゃない。

そう思い至った談志は、銀座の行きつけのバーに弟子たちを呼んだといいます。そして席に座るなり弟子たちへのメッセージを紙に書き始めました。なんとそれは口に出すことも憚られる卑猥な言葉でした。もう命幾ばくも無い体なのに、声を失いながらもユーモアだけは忘れなかったのです。

看取られる男性やがて自宅療養中に症状が急変した談志は、再入院するものの意識を取り戻すことはありませんでした。

そして家族に看取られながら亡くなったといいます。享年75歳。不世出の天才落語家の最期でした。

談志が死んだ亡くなったあと、報道各紙が出した訃報の見出しは「談志が死んだ」で統一されていたそうです。なぜなら生前の談志は「上から読んでも下から読んでも、談志が死んだと書いてくれ」と口にしていたからでした。

とここまでが談志さんの人生でした。

ポイント

  • 伝説の落語家と呼ばれ、噺家の中でも強烈なインパクトを残した人。
  • 良く言えば「恐れを知らない炎上家」悪く言えば「破天荒」「毒舌家」。

次の項目です。

2.立川談志さんを観相学で観る

いつもと同じく観相学で観る前の注意点を話しておきます。

観相学で観る前の注意点

僕は立川談志さんに会った事もありませんし、実物の本人を見たこともございません。それゆえ、普段僕が直接会って占断する人間のよくてせいぜい7~8割くらいの確度に思っててください。注意事項:画像のみで観ると確度は下がります。ご了承ください。写真や動画のみから面相を判断しますので、通常観相学と異なり、かなり信憑性が下がってしまう事だけはご了承ください。

実は談志さんの観相学リクエストは生配信かラジオでもスパチャをわざわざ投げた上にしてくださった方がおります。ありがとうございます。

けんけんその際に僕は

  • 常に色眼鏡とヘアバンドみたいなの巻いてるんじゃないですか?
  • 顔の全部観られますかねぇ?

と不安がったのですが、googleで画像検索しましたら、ちゃんと顔の全体像が映っているお写真が沢山ありました。

それに白黒ではありますが、若い時の画像も発見出来て助かりました。

若い頃の立川談志ちなみに二人で写っている写真、左側の腕を組んでいるのはつい最近お亡くなりになられた田村正和さんの若い頃です。いい写真ですよね。

立川談志というわけで若い時と、お年をめしてからの画像二つを重ねつつ、まずは面相から読み取っていきましょう。

顔の形の占断

顔の形から観ていきましょう。若い時の方が少し顔が長いですね。いきなり最初の部位から少し読み取り難しいですが、一応男性ですので吉相読み取りでいいでしょう。十字面相でも「目」まではいきませんからね。

立川談志田村正和さんと写っている写真では表情からより長く見えているだけです。男性ではベストと言われる顔の形です。よっぽど運やタイミングをミスりさえしなければ、一番になれるとまで言われている顔型でございます。

額・生え際・眉間の占断

額つぎに額は普通に良し。なのに、なぜずっとヘアバンドをしているのかは謎です。まぁ目印的、覚えられやすい色は出せましたがけどね、ヘアバンド、色眼鏡スタイルで。

生え際は丸いので、良く言えば優しい、悪く言えばいい加減ですね、吉凶入り混じりという取り方ですが、そういう場合は他のパーツと一緒に読み取るのが通常です。そこら辺は慣れるまでは難しいかもしれません。

あ、あと言うの忘れていましたが、ヘアバンドのせいで額紋は観にくいんですよ。なんでも通常時を観なければいけません。

落語時の立川談志こちらもしわが濃く出ていますが、表情を落語内でしかめっ面にしているんです。お陰で紋が沢山出ていますが、普段の顔ではないので、読み取りしない方が無難です。僕らだって、顔を無理に絞れば、しわは顔に出ますからね。

眉間ただ数多くの写真を今回観ましたが、眉間の嫉妬紋は普通にありました。意味はその名の通りです。

眉毛の占断

眉眉毛はいいですね、昔の方かつ若い写真を観ればカットされていないので、バッチリと診断可能でございます。最近はみんなカットしちゃってるんで困ります。

眉は濃く、半月になっており、長いです。そして目と目の間から始まっているのが特徴的です。

こちらは人が 周りに集まり対人運は非常に良いとされるものですが、一点短気に注意と言われております。たまにその部分で一生を台無しにしてしまう失敗も起こしてしまう事があるので注意が必要です。

山根・目の占断

山根山根はほんのちょっとだけ広めです。

眼目は通常時が観れる写真がなかなか無くてすごい探しました。こちらも軽めに雌雄眼ですね。このパターンの雌雄眼は我慢強く一つの事を続けられ成功するといわれる吉相です。

雌雄眼

左右の大きさの異なる眼

雌雄眼読み取りはかなり難易度が高く、読み取りが分かれます。それでも本来は7:3くらいで凶寄りが多いのですが、談志さんは違っていました。

厳しそう一面も無論持っていますが、基本的に協調性はあり、内に入ると騙される事もありそうです。このタイプに多いんですが、意外ともろさがあるというのですね。一点突かれると総崩れになってしまう事がありますが談志さんはどうたったんでしょうか?

鼻・耳・ほうれい線の占断

では次に鼻にいきましょう。

鼻鼻は少しいいですね!努力を惜しまず、ひとつの事を全うできるタイプ。小鼻もいいです、金運良好と観ます。

耳も観ると、垂珠も大きいですし、内輪が外に出ている訳ではありませんが、吉相読みです。

ほうれい線も口角から離れておりますのでOKです。仕事運・健康運良しですね。

口の占断

談志さんの口は表情によりかなり読みにくいですが、嫌な事も辛抱できるという部分と口うるさい、文句をいう部分を兼ね備えております。画像のみで読むとこのパーツは若い時の方が少しだけ良いように感じました。

立川談志氏の面相での占断

観れた写真の差かもしれませんが。今回面相を観させて頂いて、落語家さんと言う職業上か、談志さんは表情がものすごく豊かでした。

人気者こういったタイプの方は隠し事が苦手と読みます。その他の点では良くも悪くも人が周りに集まるタイプで、自分の実力もさることながら、周りの人間にも助けられる、吉相の顔と読むのがベストでしょう。

ポイント

  • 表情が豊かで隠し事が苦手なタイプ。
  • 良くも悪くも人が周りに集まるタイプで、自分の実力もさることながら周りの人間にも助けられる吉相の顔。

それでは最後の項目です。

3.立川談志さんから何を学ぶか

今回、談志さんを調べている時、次の言葉を見つけました。

立川談志
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。
現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という。

とてもリアリストで、人のせいにしたりするのがダメ、そして行動しろと、素晴らしい事を言ってます。何か不都合なことが起きたら、霊のせいだ、とか言っているオカルト野郎にかましてやりたいですね。

何が起きようが自分の責任。それを自覚して僕らも日々、行動していきましょう。

ポイント

  • 不都合なことがあっても他人のせいにせずしっかり現実を見て改善する姿勢。
  • 何が起きようが自分の責任!それを自覚して僕らも日々行動していこう!
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