なぜ観相学を学んだのか

若い頃、私はマジシャンでした

若い頃はマジシャンでした


マジシャンというと聞こえが良いですが、ただの手品好きの少年です。
マジシャンっていう職業はあまり知られていないのですが、めちゃくちゃ儲からない仕事なんです。 皆さんが想像するような、Mr.マリックさんとかセロさんのようなテレビに出ているマジシャンは別格でして、殆どは食べていけない状況の人ばかりなのです。

そこで、メンタルマジックが好きだった20歳前後の僕は占いというモノに興味が湧きました。

少し似ている部分があるのでは?と考えました。


そこからは占いを勉強していきました。
占術は様々なものがありますが、僕は元来、学校の勉強や、こういった物を覚えるのが得意というか、わかりやすく言うと「勘が良い」方の人間なので、ある程度はすらすら覚えていきました。 僕は徹底的にやらないと気が済まないタイプなので、真剣に打ち込みました。

どのくらい打ち込んだかと言うと、
どれも100点まで出来る様になるというよりは、結構な数の占術をすべて70点くらいマスターしたという方がイメージしやすいでしょうか?

マジシャン脳がうずいてしまいました

気になる・・・

勉強の末、ほぼ全種類の占いをある程度出来るようになりました。
しかし占いは、その結果に対し“根拠が全く無い!”という事に僕は気付いてしまいます。 まぁやる前からある程度はそうだろうと予想はしていたのですが、、、

「やっぱりそうか」という感じでした(笑)

僕は自分でいうのもなんですが結構生真面目なので、ちゃんとやった上で判断したかったんです。

飲食店でも行ってもないのに「まずい」とか「美味しい」とかは言いたくないんです。 だから全部一通りある程度出来るようになってかは判断しようと決めてました。


でもやっぱり、「やっぱりそうか」でした...。


そこで、実際占いを辞めようかとも考えました。 実際、そのままやり続けてもお金稼ぎはできるでしょう。 アテモノですし、元マジシャンゆえコールドリーディングでも何でも簡単に出来ます。 むしろその辺の占い師より遥かに手法を持っています。

専門用語が多くなってしまいますが、マジシャンズチョイスなんかも使えてしまいます。 ただ、せっかくある程度覚えたのにもったいない。

むしろ、知り合いが多かったお陰でお客様もかなり付いていました。なので、現時点でちゃんとお客さんの事が占断できるものに絞ろうと思いました。
何かあるはずだという事で、消去法で残ったのが、相手の状況をちゃんと見る事だったのです。


情報です。


人相や手相、そして相手の名前は今その瞬間、目の前の相手を表していますから。
そこから僕の観相学の修行が始まったのです。


アテモノではない自分の占いを作る人生がスタートしました。

観相学の修行

と、言うわけで修行が始まりました。

なぜ観相学以外の占いがオカルトと感じたかは、
やはりその人の人生との何をどう計算しようが根拠が無さすぎる部分です。

例えば生年月日を使うもの、いくら出生時間まで調べても、所詮は先天的要素のみ、つまりは0歳時のデータなのです。

意味がわかってもらえるでしょうか?
例を挙げて解説します。

例えばAさん男性という人が、大阪の僕の元に占いにきたとしよう。

Aさんの生年月日は1999年9月9日9時9分生まれだとする。
このテキストを書いてる今から遡ると21歳の成年である。
この生年月日から計算して、占いをする。

皆さんはここで違和感を感じませんでしたか?

彼がこの世に生まれおち、21年間日本で義務教育を受け、平凡な暮らしをして僕の元に占いに来ても、生まれた瞬間何かのきっかけで、アフガニスタンやシリアのような戦地に行き、6~7歳で少年兵になり戦争の中を戦い抜いて来て、21歳になって帰国して、僕の元に占いに来た場合、生年月日、時間が同じ人は人生が一緒といえるでしょうか?

同じ人生?



そんな訳はありません。

要するにこういった生年月日から占断するものは、生まれてから育つ過程の一切の後天的要素を省いているのです。

これではまったく意味がないです。 Aさんの生年月日が変わらなくても、僕を探して占いに来るまでの20年の方がこのAさんを形成していものに対して、明らかに大きな影響と割合を占めるはずなのです。
その大事な部分が一切加味されないものに、信用性等がある訳がないと言いたいのです。

やはりこういった根拠・原因・エビデンスを求めるのはマジシャン経験のせいだと思います。 まったくエビデンスを持たない占いは単なるアテモノであり、そんなモノに生涯をかけて良いモノだろうかと思い至りました。

“その人の今を観る。”

勉強の日々


今というのはその人のキャリアや経験、培って来たモノを観る観相学ならばちゃんとお客さんを占断できる、と若き僕は考えたのです。

さてさて、そこから観相学の修行が始まりました。

面相、手相、人相の本などを読み漁りました。 しかし、やはりここでもマジシャン脳が出てしまう。どの本を読んでも文章に整合性がなく、あやふやな感じなのです。

そして統計学としては乏しく、絶対にわからない部分まで書いてありました。 そこは元マジシャンなので、あり得ない部分はあり得ないと言うことがわかるし、違う部分は違うと解ります。 恐らくは人相の本の著者もオカルトが少し入っています。

マジシャンからすればバレバレです。ただ得るものもあるにはありました。 だいたいどういう風に人を見ていくか、何処が間違えてて、何処が合っているかはよく理解できた。

それだけでも大きな収穫でした。後は自分で作っていくだけでいいと考えました。

"一師をへずんば一芸長からず"、"人三師に習えば武芸高し"

いろんな人を見るということ


それからというもの僕は人をひたすら観る事を自分に課しました。

幸いにも占い師である以上、人は沢山観れる。
日給制のイベントに出れば5分交代で並んでいるお客さんをひたすら観る事ができる。 1日100人以上もの人間を観れるのは大きな収穫であり、勉強になりました。

加えて僕は、人がよく見える喫茶店に足しげく通いました。

実はお一人様で、外の飲食店でご飯食べる事が僕は嫌です。

でも恐らくはその嫌な事よりも、知的好奇心の方が勝っていたのだと思います。
他には裁判の傍聴や、僕の所に来てくださるお金持ちのお客さんに、よく北新地の夜の店に連れて行って頂きました。

これも縁だと思います。

その当時、バブルはとっくに弾けてはいたがまだまだ景気は良かった。 僕も20歳くらいで今と違い、キャバクラ等は少なく、ほとんどが会員制の高級クラブだった。

これが僕の観相学習得に、非常に役に立ちました。 人を観て勉強する学問である観相学は、出来るだけ色々な種類の人を観なければいけません。

占いのイベントや喫茶店で、外を歩く人を観ているだけでは全てのジャンルは追いきれないです。

しかし夜の街は違った、あきらかに違う人種がそこには沢山存在していました。

江戸時代に水野南北という観相師がいました。

水野南北氏


彼が観相学を覚えようとしたきっかけも、彼が当時の刑務所に入った時に、外にいる人間とは明らかに面相が違った人達がいてる事に気付き、そこから観相学を学び始めたそうです。

その当時の夜の街はやはりお金持ちばかりであるものの、面相は男性も女性も普通の街と比べて全く別でかなり凶相、つまり悪人に見える人間ばかりだったようです。


坊主です


実は僕は寺にも入っており坊主もやっておりますが、自分の和尚が


「夜の街に来てる人間なんてな、捕まる前の奴か、捕まった後の奴や」


と言われました。

まさにその通りでした。 しかも当時は暴対法が出来る前だったので、本職の方も沢山お店に居ました。

それが僕にとってはかっこうの勉強の材料でした。 だから夜の街は他のお客さんとは、別の意味で非常に楽しかったです。

面相もそうですが、やはり男女ともに服や時計に靴、鞄に財布なども普通の街にいてる人間と明らかに違うものを持っています。 早い話が高級品という物です。 そこで若き日の僕は面相だけでなく、態度や服装、喋り方、食べ方、座り方などからでも人を見抜けるというヒントを得ました。

また僕自身が年齢が若いというのも更にラッキーでした。

ぶっちゃけ今は40オーバーになり、視力、集中力、観察力、記憶力、すべて衰えています。
残念ながらそれはまぎれもない事実です。

ゲームするにも体力要る・・・


まぁこれは僕だけでなくだいたいの人間がそうでしょう。

昔は徹夜で出来たTVゲームも今や、悲しいかな15分くらいしか連続で出来ません。
なので、今の年齢で、今一から観相学を覚えないといけなかったとしたら、かなり習得に時間も手間もかかったと思います。

しかし、若い時はほとんど寝ずに、人を観る生活を繰り返していた気がします。
ひたすら占いの数をこなし、夕方から夜の街におじさんに連れて行って頂く。 何件もハシゴして、帰るのは朝の6時7時、そこから2~3時間寝て、風呂入ってまた仕事にの繰り返し。

しかも時期が時期で景気が良かったので、金持ちのおじさんが全部出してくれるので、僕は一円も使う事はありませんでした。

今だったらそこまで景気の良い人は少ないです。
なので僕の年齢だけでなく、うまく時代も含めきっちり噛み合ったのだろうと思います。

これはやはり全ての流れがその方向に向いており、オカルトでは無いが運命といえば運命なんでしょうね

一緒に学びましょう

学びましょう


とにかく4~5年くらいで果てしない数の人間を観たお陰で、ある程度自分の予想と相手の人間像が合う事が徐々に徐々に増えていきました。

もちろんそこに辿り着くまでには多くのトライ&エラーもありました。

そして洋服やアクセサリーなどは、時代によって流行り廃りがある為に一生学んでいかないといけないものだという事も理解できました。

面相でもそうです。

バブルの時代は女性だってめちゃくちゃ眉毛が太かったです。

今の人が観たら笑うと思います。 しかも整形手術やそれに近い物もどんどんと出ており、カラコン、目細工等もそうです。

男性でも化粧をする人もいれば、眉毛をカットしにいく人も普通なのが現在です。

もう水野南北氏や、面相だけで観ている観相学は、ほぼほぼ通用しない。

だからこその僕が作った『近代観相学』の出番というわけです。

顔以外で人間は無数に判断する材料が存在する。 『近代観相学』を勉強して、少しでも相手の本質を見抜けるようになれば、あなたの人生は少し楽なものになり、不確かなモノは捨て、確かなモノを活かせる合理的かつ建設的な生き方が出来るはず。


さぁ僕と一緒に僕が作った『近代観相学』を学び運気を上げましょう!



けんけん
『本質』を見抜こう!